ある挫折から始まった指導者人生大学卒業後Jリーガーになるという思いで、サッカーを続けてきました。ですが、どのプロチームからも声はかからず、JAPAN サッカーカレッジという新潟の専門学校で2年間プレーすることになるんですね。その後もプロへの道を諦めきれずに、当時JFLだった岡山と鳥取に練習参加したりセレクションを受けたりしましたがやっぱりうまくいかなくて。「もうどこのチームにも引っかからないんだったら、プレーヤーとして踏ん切りを付けてもいいかな」と思って、同時期に声をかけてくれていたアルビレックス新潟(以下、新潟)にスクールの指導者として入りました。最初はスクールから始まってゆくゆくはジュニアユースやユースの指導者までやりたいという話もさせてもらいましたが、その時にたまたまジュニアユースのコーチが空いたのもあってジュニアユースで指導させていただく機会を早々にいただいたのが指導者人生の始まりです。“なんでも一生懸命やれ” 今も大切にする恩師の言葉最近になって、高校時代の恩師に「なんでも一生懸命やれ」と教えられてきたことを思い出しました。今考えてみると、大人になってから ”なんでも一生懸命取り組む”ことにブレーキをかけている時がいっぱいあるなと思って。歳を負うごとにチャレンジできなくなっていくのもその一つですよね。人間は普段転ばないように生活していますが、キーパーは体を投げ出して地面に打ち付ける作業を繰り返します。こういった人間の本能から外れるような行動をするときはブレーキが勝手に作動しようとしますが、やはりサッカーをしているとどうしてもそのブレーキを外さないといけない場面が多いです。私生活でも「これは無理だろ」って勝手にブレーキをかけてしまうのではなくて、一生懸命チャレンジを続けることで新たな世界が広がってくる感覚を最近すごく実感しています。“心の充実” がチームを強くする指導するとき、特に大事にしていることは選手の心にアプローチしていくことです。ほんとにしたいことなのか、実は苦しんでいるのではないか、などの心の見極めですね。心が充実しないといいプレーを出せないし、心に波がある状態でも最後は充実しているところに落ち着くようにサッカーを使ってサポートしてあげることが大事かなと思います。サッカー選手もみなさんと同じ一人間なので、心が不安定な状態ではその選手の持ち味がうまく出てこないんですよね。つまりその選手の持ち味が一番出た時、チームを助けるプレーに直結するということです。我々スタッフが選手の ”心の充実” を作り出せれば、気持ちよくプレーできる選手が増え、チームを強くすることにつながります。もちろんテクニックや戦術もサッカーには重要ですが、何よりも選手一人一人の心に目を配った指導を心がけています。教え子とのJの舞台での再会白血病の闘病生活を乗り越えて今活躍している新潟の早川史哉って選手がいるんですけど、彼が中三の時に新潟のジュニアユースでGKコーチやらせてもらってて一年間一緒に活動してたんです。去年うち(山形)のホームで新潟とゲームがあった時、試合後にユニフォームを持ってきてくれて。「どうしたん?」って言ったら「あの時自分に厳しくしてくれる人はツチさんしかいなくて。今すごく感謝の気持ちを持っているので、また会えて嬉しかったです。」って言われました。彼は当時その世代では日本を代表する選手でしたが、僕は彼の当時の様子から厳しく接することも多かったので覚えてくれていたみたいです。当時の未熟な僕がかけた言葉を覚えてくれていたり、プロになっても感謝し続けてくれていたことがすごい嬉しかったし、史哉だけじゃなくて昔携わった選手たちが「今こうやってやってるんです」って笑顔で話してくれる時はすごい嬉しいなって思います。山形をJ1に。その先に抱く ”京都愛”指導者として、こういう立場で責任を持っていろんな選手たちやスタッフたちと仕事することで、自分が教えてもらうことが多いなと思います。最終的には今までの経験や、いろんな選手たち・監督・スタッフから学んだことを地元に還元したいです。僕は京都サンガのユースで育ったというのもあり、帰属意識は京都にあるので。自分が育った京都を盛り上げるために、まずは山形の一員としてJ1昇格を目標に掲げています。最終的には京都に還元したいですけど、今は山形と一緒にJ1を全力で目指すので、引き続きサッカー指導者として慢心することなく突き進みたいですね。