指導者になった経緯とスペインに渡って得たもの選手として元々能力が高かった訳ではないのですが、頭を使ってサッカーをする事、人と話す事が好きだったので、指導者は一番自分に合っていると思っていました。指導者を職業として選択しましたが、当時の自分は高校サッカーにしか関わった経験がなかったので、自然な流れで体育大学に進学、保健体育の教員免許を取ってまずは教員になりました。25歳でスペインに行きましたが、指導者としてのベースはまだない状態でした。指導者としてのバックボーンがなかったのはある意味ラッキーで、何の先入観もなくスペインのサッカーを吸収できました。自分なりの指導スタイルや、日本での指導スタイルが確立しているとストレスを感じたり、受け入れ難い部分もあったと思います。日本人の良さを活かす事だったり、日本の文化というのはもちろん意識しますが、基本的なサッカーの見方や指導の軸はスペインでの4年間で作られたものです。その軸に今後、新しい理論や現場での経験を通じてアップデートしていくイメージを持っています。国に文化としてサッカーが根付いている、そんな環境に身を置けた事自体が大きな経験になっています。サッカーを非線形なものとして捉えるペップグアルディオラが黄金期を作っていたバルセロナのポジショナルフットボールを軸にした指導方法を学校で習い、ライセンスを取得しました。近年日本でも構造化トレーニングという言葉が聞かれるようになってきましたが、僕が渡欧した当時(約10年前)から、トレーニング理論に関しては既に定着していました。特に自分の軸として取り入れているのが、サッカーを切り分けて考えないという事です。難しい言葉で言うと、線形と非線形の違いです。線形とは要素をバラバラにしても再度足し上げる事で全体の結果は変わらない、非線形は要素に分解する事で全体像が見えなくなってしまうという事です。僕はサッカーを非線形なものと捉えているので、必要以上に要素分解する事は避けています。環境によって意識する事は変わる教員時代は、サッカーを教育のためのひとつのツールとして捉えている部分がありました。これは日本の教育現場の基本的な姿勢だと思いますが、スペインではサッカーを教育という枠にはめ込まず、エンターテインメントとして非日常を味わうものと位置付けていました。正解不正解はないと思いますが、自分はサッカーが与えてくれる非日常の刺激を選手と一緒に堪能していきたいと思っています。高校の部活を見ていた時とアカデミーを見ている時の大きな違いは、より個人にフォーカスするようになった点です。どんなチームに行っても必要とされる選手を目指すとしたら、チームが機能する事だけにフォーカスしていてはダメなんです。個人主義のスペインであればそれでも勝手に選手たちは伸びていきますが、日本だとより強く個人を意識しなければなりません。帰国直後は様々なやり方をトライしましたが、自分の中でジレンマも抱えていました。最近は、集団の中の個人に着目してどうやって次のステップに繋げていくのかに注力しています。選手にどのように話せば心に響くのか、次のアクションに繋がるのかは凄く意識していて、時と場所、話し方も気を付けています。試合で得られる喜びと同じくらい、選手一人一人の成長も大切レベルやカテゴリー関係なく、僕はピッチでゲームをしている時の非日常感が大好きです。選手と一緒に痺れるようなゲームをしている最中はもちろんですが、一方で試合に多く絡む機会のない選手の事も常に考えています。試合には11人しか出られないという制約の中、全員が満足する事はあり得ません。どんな選手にも、この人から多くの事を学んだな、と思ってもらえるような指導者でありたいと意識しています。常に必要とされる人でありたい、そのために自分自身の価値を高めていき、自分にしかできないものを作っていきたいと思っています。指導者というのは、どこまでいっても選ばれる立場、批判される立場なので、なかなか自分が思っているようにキャリアを描くのが難しいですが、今目の前にいる選手にサッカーの魅力を伝えていく事が、次のステージに繋がっていくと信じて日々全力投球しています。育成に関わった選手たちが大人になってプロになったり、トップカテゴリーでプレーしている姿を見ている中で、自分もいつかトップカテゴリーで監督になりたい、という目標も掲げています。