教員からプロコーチへ-指導者を志した経緯を教えてください教員時代から充実した日々を過ごしていましたが、上位ライセンスを取得していき、S級に挑戦している中で、プロの指導者と一緒に学ぶ機会を得ました。かなり刺激を受け、昔夢見ていたプロの指導者になりたいという想いが再燃。一人息子が大学4年生になり、子育てがひと段落したというタイミングでもあったので家族会議を重ね、飛び込む決断をしました。教員は安定した職でしたが、プロコーチとしてチャレンジし、選手を育成してみたいという強い気持ちに突き動かされ鹿児島に行くことになりました。大学生の時にはJリーグが立ち上がり、それまではサッカーを続けるとなると教員になるのが王道でしたが、そこで初めてプロという選択肢ができました。もう少し指導者として学びを深めようと大学院にも進学したのですが、学生時代に結婚相手と出会った事もあり、恩師瀧井先生にも背中を押され、教員になる道を選びます。瀧井先生のシステマチックなサッカーに関しては著書にも書かれていますが、とても影響を受けていて、チーム戦術に関してはかなり拘りを持っていると思います。高体連とJ下部組織の違いは、"個と組織"-長きにわたり桐生第一高校を率られていましたが、高体連とJ下部組織で大きな違いはありましたか?高体連という枠組みの中でいうと、何と言っても高校サッカー選手権を最大のイベントとして選手も指導者も仕上げてきます。そのパワーは凄まじいものがあります。特に私立は経営が大切なので人数をたくさん入れて、その中で勝ち上がってきた選手達が残るという構造。コーチに関しても1人当たり30名近くを指導する必要があります。高体連からプロになる選手はこの厳しい環境の中、淘汰された選手という事になります。一方、J下部組織は明確に個の育成に重きを置いています。トップチームを最終目標として、ジュニアユース、ユースはその過程という位置づけです。少数精鋭で人数も少ないので、スカウトの段階で各ポジションでどんな選手に来て欲しいかイメージがあり、選手達はそれに沿って育成されます。僕自身も、教員時代はたくさんいる選手の中からチーム戦術を考慮して、勝てるメンバーを選ぶという考え方でしたが、今は個の育成に注力しています。プロを育てるという意味ではJ下部組織の方がかなりメリットが大きいのではないかとここ2年間で感じています。桐生第一で築いたスタイルを壊し、鹿児島で新たなものを-鹿児島で新たにチャレンジされていることはございますか?今まで桐生第一での指導経験しかないわけですが、それを鹿児島に持ち込んだ時に、選手達の反応が違ったので、変化しなければならないと感じました。地域によって文化背景や性格も違います。鹿児島の人達は熱くて負けず嫌いが多く、群馬の人達は素直な印象です。鹿児島やユナイテッドの文化を理解しながら自分も変化していくというのが指導の軸になっています。核家族化が進んだり、学習指導要領が変わったり、この20年で子ども達の特徴も大きく変わりました。昔はバンバン怒ったら反応していたものが、今は適宜褒める要素も入れていかないと潰れてしまう。ハッキリ言うべき事は伝えつつ、言い方を工夫しながら試行錯誤しています。また、鹿児島ユナイテッドのフィロソフィーとそれに紐づいた戦い方に対応していくのも難しかったです。フィジカルコーチ、メディカルコーチ、キーパーコーチ等関わるスタッフが一気に増え、彼らと連携する事がかなり重要に。自分の頭の中で組み立てた指導方針を背景含めて伝えようと務めていますが、今もチャレンジを続けています。OBの活躍を楽しみに、ゆくゆくはさらに上のカテゴリーで-指導者として幸せに感じる瞬間は、どんな時でしょうか?桐生第一時代はプロの選手を輩出した時や、OBが母校に顔を出してくれた際に成長した姿を見るのが嬉しかったです。『高校時代は田野先生に怒られたけれど、今それが役に立っています』という言葉もすごくありがたかった。鹿児島は2年目なので、まだまだこれからという所でもありますが、早速、指導した選手がトップチームに登録されたという嬉しいニュースもありました。今後も関わった選手達の活躍を楽しみにしています。-最後に、田野さんの夢や目標を教えてくださいプロの世界に飛び込んだ際、メディアには『オールドルーキー』というキーワードで取り上げられました。一緒に働いているのがほとんど年下の方ばかりですが、彼らから学ぶ姿勢を何歳になっても忘れず、サッカー界に貢献していきたいです。ゆくゆくはトップカテゴリーに挑戦したい意欲もありますが、今はアカデミーを組織として大きくする事に全力投球したいです。