かつて抱えていた、2つ目の夢へ元々は高校で教員をしながらサッカー部の顧問になる事を目指し、大学に進学しました。関東2部リーグに所属していた流通経済大学で中学と高校の社会科の教員免許を取得しましたが、卒業後再びプロの世界に戻りました。FC岐阜で現役を引退する時に「今度こそ教員の道へ」と思ったタイミングで岐阜聖徳学園大学の監督の話が舞い込みました。岐阜では5シーズンプレーをしてきたという思い入れもあり、何か恩を返せるなら、という事で大学職員として働きながらサッカー部の監督を引き受ける事にしました。印象に残っている3人の指導者1人目は自分が高校の教員を志すきっかけにもなった恩師、高校の監督です。2人目は流通経済大学でお世話になった中野監督です。もう一度プロの世界に返り咲くきっかけを作ってくれた監督で、技術面だけでなくピッチ外でも大きく成長させてもらいました。大人が大人のチームを運営していく難しさも同時に教わりました。3人目は岐阜で2年半一緒にやったラモス瑠偉監督です。ラモスさんと言えば、日本を代表する選手、指導者としてサッカー界に貢献されているレジェンド。彼からは絶対に負けないという強いメンタル、勝負へのこだわりを学びました。挙げた3名の指導者に共通しているのは常に選手ファーストで向き合い続けるスタンスです。時に厳しく叱られる事もありましたが、今振り返ると自分に真剣に向き合うからこその言動だったんだと理解できます。彼らからの学びが、今の自分の指導の軸にもなっています。学び続ける指導者であるために岐阜聖徳学園大学の監督の話を受けた時、サッカー部のレベルは同好会のようなものでした。週3回の練習に週末に1回の試合、雨が降ったら練習は中止でした。サッカー部を強くする事が自分の使命だと思っていたので「もっと練習しよう」と働きかけましたが、選手たちの気持ちが付いてこなかったのが着任当初の状態です。プロで13年間プレーしてきて伝えたい経験はたくさんあったのですが、うまく伝える事ができませんでした。強くなりたい、試合で活躍したいという強烈な想いがない学生に伝わる話し方をする事ができなかったんです。そこで岐阜大学の大学院に入学し、より詳しく身体の事を学んだり、コーチングを学ぶ決心に至りました。結果がずっと出ないという事はどこかで誤ったプロセスを踏んでいる可能性が高いと考えています。岐阜聖徳学園大学サッカー部は県リーグから東海2部リーグでも徐々に順位を上げて今は昇格争いにも食い込めるところまできています。学校の設備も土グラウンドから人工芝に変わりました。着任した5年前とは環境がどんどん良い方向に変わってきて、手応えを感じています。『プロを目指すためだけの指導』はしない自分が呼んできた選手が4年間かけて成長していく姿を見るととても嬉しいですね。卒業する時に数ある大学の中から岐阜聖徳学園大学を選んで良かった、と思ってもらえれば最高です。1年生から4年生まで通して指導した選手が揃ってきたタイミングなのでこれからどんどんそういう瞬間に立ち会える事を楽しみにしています。もっと強くなりたい、Jリーグでプレーしたいという気持ちが結果に結びつけばもちろん嬉しいですが、一方で『プロを目指すための指導』はしたくないと思っています。プロになれるのは一握りの選手ですし、なれたとしても必ず引退の時が訪れます。第一線を退いた時に何の強みもない状態で社会に出ると本人が困ります。技術面の向上だけでなく、大学4年間をかけて社会で戦うために必要な武器を見つけてもらいたいです。このインタビューを聞いている高校生にメッセージを送るとしたら、大学に入ると遊びやバイトなど様々な誘惑があると思います。目移りしてしまったとしても、自分の中の軸だけはぶれないようにして欲しいですね。日本サッカーのレベルアップを一緒に目指していきましょう!