指導者を志したきっかけプレイヤー時代は将来指導者をやりたいという明確な想いはありませんでしたが、原体験のようなものはあります。キャプテンだった高校3年生の時、練習メニューやメンバー決めを自分がすると監督に宣言しました。所属する米子工業高校は選手権3年連続出場、インターハイ5年連続出場といった実績を残す強豪校でした。そんな環境でトレーニング方法や試合に出場するメンバーをキャプテンが決めるのはとても苦しかったです。同級生を選手権メンバーから外すという経験はとても辛かったですが、すごく勉強にもなりました。選手兼監督になってからはコンビ練習の時も誰も組んでくれなくなり、監督が感じる孤独もたっぷり味わいました。ブラジルから帰国し、サッカーの仕事に就くのか、その他の仕事に就くのか考えた時期もありましたが、高校時代の経験をきっかけにやっぱり指導者って面白そうだなと、この道を選ぶ事にしました。オシム監督から受けた影響選手時代から関わった指導者は愛情溢れる方ばかりでとても恵まれていました。中でも大きな影響を受けたのは、イビチャ・オシム監督です。当時ジェフ千葉で監督をされていたオシム監督の元で1週間ほど選手への声掛けや練習メニューの組み方を学びました。「日本人の一番悪いところはどこだと思う?明日もこの幸せが続くと思っているところだ」と話していたのがとても印象的です。サラエボのような美しくのどかな街でも、ある日突然空爆が始まる事がある。今日一日を真剣に生きる事の重要性を説いていたんだと思います。選手の良き手本となる指導者養成に関わるようになってから繰り返し強調しているのは、「指導者自ら選手の手本となろう」という事です。口であれこれ言う事は簡単ですが、子ども達は思っている以上に大人の生き様を見ています。サッカーの知識が豊富だったり、デモンストレーションが上手である事も魅力のひとつではありますが、結局のところ指導者がどのくらい愛情を持って自分達に接しているかを彼らは敏感に感じ取ります。指導者はいつも見られているという緊張感を持つべきです。選手に対してだけでなく、保護者に対してもそうです。多くの保護者は子どもをプロサッカー選手にしたいと思っているわけではありません。サッカーを通じて多くの事を学び、尊敬できる指導者の元で練習して欲しいと願っています。当たり前の事ですが、挨拶をきちんとする、道具を片づける、間違った時には素直に認めて謝る。そういった姿を指導者が見せる事で選手、保護者どちらからも信頼される指導者になる事ができると考えています。指導者冥利に尽きる瞬間プレー面であっても人間性であっても、選手の成長を感じた瞬間は嬉しいものです。あとは、長年指導者をやってきたからこその醍醐味ですが、関わった選手が大人になって家庭を持ち、子どもを連れて会いに来てくれた時の喜びは格別です。子どもを抱っこさせてもらったり、一緒にボールを蹴って遊んでいるというエピソードを聞いたりすると、指導者を続けてきて良かったと感じます。今は指導者育成に携わっていますが、日本サッカーの根幹を支える重要な役割だと思っています。いかにサッカーを伝えられる人を増やしていくかが日本サッカーのレベルアップに繋がるはずです。もちろんトップチームの指導者育成も大切ですが、それ以上に街のサッカー少年団の指導者も大切。これからも指導者の指導者として、活動を続けていきたいです。