ある指導者への憧れが導いた、大学サッカー界での30年-指導者を志したきっかけを教えてください。僕はサッカーの後進県でもある長野県の出身で、小中高とそんなに強いチームではないところでサッカーをしていました。そこから筑波大学に入って、全国の高いレベルの選手と一緒にサッカーするようになったんですが、100名近くいる部員の中でもずっと最下層でプレーを続けていました。始めて指導するきっかけになったのは、大学に入って初年度に地域の子どもたちを指導するアルバイトからです。自分がサッカーするのが好きなので、好きなサッカーを伝えればいいのかなっていう程度でスタートしたのが初めですね。それをずっと大学院にいる間もプレーヤーと両立しながら続けていって、大学の後輩たちを指導する立場に自然に切り替えていました。「絶対指導者になる」と思って始めたわけではなくて、気づいたら指導者として同じサッカーをする選手たちと一緒に活動していたというところですね -宮崎さんが、指導者として影響を受けた方はいらっしゃいますか?自分にとって影響を受けた指導者は誰かと聞かれると、本来はやっぱり高校の監督さんとかあるいは大学でお世話になった監督の名前を先にあげるべきところだと思いますし、もちろんそういう方たちにはとても大きな影響を受けました。その中でも、これまで私が大学サッカーで30年近く指導をさせていただくきっかけになった方っていうのは、東海大学で長年教鞭をとられていた宇野勝先生です。宇野先生からは、多くのことを学ばせていただいたり気づかせていただきました。今さまざまなカテゴリーで活躍されている方が、東海大で光り輝いていた頃の指導されていた先生なんですが、全日本大学サッカー連盟とか関東大学サッカー連盟で様々なお仕事をされておられた方です。東海大学を指導されるときはいつもグラウンドにゴルフクラブの先を切ったステッキみたいのを持ってらっしゃって、「その棒を何に使うんだろうなー」って思いながら、いつも怖い人なんだろうなって思いながら当時は拝見していました。おそらく東海大でも、とても厳しく指導されていたのかなと今になっても思います。ただ、僕がお話を伺ったりいろんなこと勉強させていただいたところでは、本当にとても面白い先生でした。学ばせていただいたというよりは、憧れを持ちながら「宇野先生のような指導者になりたい。」と思うような存在の方でしたね。ユニバーシアード日本代表監督として掲げた、"常にチャレンジする姿勢"-宮崎さんが、指導者として大切にするものを教えてください。サッカーの指導する時は、基本的に選手の邪魔をしないように、選手の背中を後ろから押してあげたりというようなスタンスを大事にしたいなと思っています。-ユニバーシアード日本代表監督としてのご経験も、ご自身の中では大きかったですか?僕がユニバーシアードのチームを預かるまで前大会や前々大会も本当に素晴らしいチームで素晴らしい選手たちがいるチームだなと思ってドイツに行ったりスペインに行ったりしながら拝見していました。準決勝、一つ勝てば決勝っていう試合で2大会とも点は取れなくて引き分けでPK負けという大会が続いたんですよ。結局、当然のことながら3位決定戦では圧勝するようなチームだったんで2年連続で銅メダルだったんですが、本当に優勝しても全くおかしくない選手たちや指導者の皆さんがいらっしゃったチームでした。この2大会もそうですが、実は私の関わった大会(1995年福岡、1997年シチリア、2001年北京、2003年大邱、2009年ベオグラード、2017年台北)の6大会すべてでチーム作りにメンタルトレーニングを取り入れました。1995年、2017年は東海大学高妻先生、残りの4大会は私がメンタルトレーニングコーチとして指導しました。大会準備期間から大会中もデータを取りながら、指導者・選手からも有用性を指摘する声が多く聞かれました。こういった過去の取り組みも継続させながら、どうしたら優勝できるんだろうなということをまず引き継いだ後に考えました。我々が勝つには点を取らなきゃならないですし、負けないためには点を取られないことが大事。これはサッカーの本質ですが、その本質にきちんとチャレンジできるような環境を自然に作ることを念頭に置いてスタートしました。なので一番選手たちに要求したのは、『失敗することを恐れずチャレンジし、もし失敗することがあってもチームで補いながら成長していこう』ということです。ここからチーム作りをスタートし、最終的には選手・スタッフ含めチーム全員で優勝を掴み取ることができました。今回のカタールW杯でも、『チャレンジ』というところがまさにドイツとスペインを破ったキーワードになったんじゃないか思います。森保さんははきちんと選手の取り組みを見てくれて、チャレンジしていくことを評価してくれる監督さんなので、選手たちもしっかり理解していいチームができていたんだなと思います。僕の場合は特にそんなことは一人じゃできないので、自分のチームを編成するときも選手はもちろんスタッフは本当に優秀なスタッフの皆さんに来ていただきました。僕がこんな風にのんびりしてぼーっとしている雰囲気なので、一番大学サッカー界の中でも怖くてピリッとしていて前向きな指導をする方たちに集まっていただいたので、まあまあ怖もての人が多かったですよ。(笑)ユニバーシアードでは、色んな人に助けられましたし周りのスタッフが本当に優秀でした。教え子とのさまざまな形での再会が、指導者冥利に尽きる瞬間-長きにわたり大学サッカーに携わってきた中で、指導者冥利に尽きる瞬間はどんな時だと感じていますか?30年以上大学生と関わってきた期間というのが、僕にとっては本当にかけがえのない時間でした。優勝させていただいたユニバーシアードでも、今トップリーグで活躍している三笘君を筆頭に、素晴らしい選手たちを一瞬ではあるものの指導させていただけたのはとても貴重な経験でした。10年、20年前に時間を共にした選手たちも今は指導者としてさまざまな舞台で活躍されています。例えば、今回のW杯で日本代表コーチをしていた斉藤俊秀くんや上野優作くんは、一番最初に大学サッカーが世界一になった時の1995年 ユニバーシアード(福岡大会)の優勝チームの選手なんですよ。彼らとは選手の時にももちろん、色々な形で関わりもありました。俊秀くんなんかは、選手をしながら監督をしてた時代が実はあるんです。「しんどいんじゃない?選手しながら監督して」みたいな話をしてたと思ったら、ちょうど12年前の僕がS級のライセンス講習を受けた年に俊秀くんも一緒のライセンス取りに来たんですよ。「こんなことってあるのかな」って思ったんですけど、一番走れてましたし、終わってから筋トレしたりダッシュするS級のライセンス取るおじさん初めて見たよって話していました。(笑)そういう時期を経て斉藤君とか上野君をはじめ、サッカーに関わって色んなことを成し遂げ、色んなことにチャレンジしている姿を見ると、本当に嬉しくなりますよね。こういった出来事が、「もうちょっと生きてようかな」って思う瞬間です。現在はオール青山スポーツコミュニティというプロジェクトの中で、小さい子どもたちと一緒に過ごす時間も増えています。毎週月曜日の夜7時から8時半の時間帯でサッカー教室みたいなことも始めました。サッカーを通してではありますが、小さい子たちの成長を見守っていく中で、「あのおじいさんとボールを蹴ったな」とか「一対一のドリブルしたな」みたいなことをちょっとでも記憶の片隅に持ってくれながら、「あと10年経ったらどうなってるかな」みたいな楽しみをも持てるようになったなっていうのが新しい発見ですね。今5,6歳の子や、三笘君みたいな25歳でバリバリトップでやってる子であったり、斉藤俊秀君みたいな代表コーチになっている子たちが、僕のことをどう思ってるか全然わかんないし、全く覚えてない可能性もあります。ただ僕が彼らのことを思っているのは僕の勝手で楽しいことなので、そういう楽しみが持てるっていうことが幸せです。サッカーをすることによっていろいろな出会いがあったり、関わりができたことが喜びの源かなというふうに思ってますね。多種多様なサッカーを通して、新たな視野と共に歩むこれから-宮崎さんの、これからの目標や夢を教えてください。今直近で関わっていくサッカーの事業の中では、幼稚園の子から大人までが一緒になってサッカーをするというようなイベントをやってますし、女子サッカーの普及というところをメインにした活動の運営委託というような形でも活動させていただいています。仕事も子育ても大変なお母さんたちが毎週サッカーしに来てくれてたり、サッカーでうさばらしするみたいな子が来てくれてたり。昨年の9月から入国する外国人の方たちが増えてきているので、その子たちを対象にしたスポーツイベントも我々のプロジェクトの中で受け持ってやっています。 育った環境が違っても、言葉が違っても、ボール1個でいろんな繋がりができる様子を見ている時間はとても楽しいです。ウォーキングフットボールというイベントを通して、子どもから大人まで、障がい者の方たちも一緒にボールを追いかける時間も作っています。障害、年齢、性別、技術レベル関係なしで楽しめるサッカーです。今まで本当に狭い領域の中でサッカーを見てきた30年近くだったのですが、ここに来てどんと視野が広がっています。改めて「サッカーって奥深いな」と感じる日々を過ごしています。ここから先は、さらにその広い裾野をもっと広げたり、這い上がってくる子どもたちの様子をしっかり見つめたり応援したりする機会をたくさん作って取り組んでいければなというふうに思っています。