プロフットサル選手から指導者へ地元の札幌は冬になると、半年近く外でサッカーができない環境だったので、長年室内サッカーやフットサルに親しんできました。プレーヤーとしてサッカーを高校まで続けた後、1年間アルゼンチンに留学。アルゼンチンでは現地にいる日本人コーディネーターの元に住み、日常会話は日本語、練習の時だけスペイン語を話していました。今となってはもう少し向こうの環境に飛び込んでおけば良かったという後悔も正直あります。留学中もフットサルに対する想いは持ち続けていて、帰国後タイミング良く湘南ベルマーレフットサルクラブのセレクションを受ける事ができました。初めはサテライトチームからスタートし、収入を安定させるために並行して指導者にもなりました。今までプレーしてきた事をそのまま伝えるだけなら手っ取り早そうという安易な考えでしたね。「いずれは地元で指導者へ」出身クラブで本格的に指導者の道へ。湘南ベルマーレフットサルクラブでプレーしながら指導者の仕事を始めましたが、どんどん指導の方が楽しくなってきて、一本に絞る事に決めました。その時、一番お世話になったチームとして浮かんだのが中学まで在籍したFIBRA FCでした。立ち上げ2期目で入ったので、クラブ自体も全然うまく行っていない時期にがっつり関わり、大きく成長できた場だったので、いずれは地元に帰って指導者になろうと決めていました。サッカーをしている中で様々な方と出会いましたが、自分に一番影響を与えたのはFIBRA FCの濱田さんです。札幌出身で、静岡学園卒業後、ブラジルを経てFIBRA FCを立ち上げた方です。経歴からも分かりますが、テクニックがとにかく凄い。自分が14~15歳、濱田さんが20歳の頃出会っているのですが、サッカーを教わるというよりは、一緒にプレーする中で楽しみを学ばせてもらった感覚があります。彼と共にプレーした経験が今の自分の基盤になっていると感じます。『応援される人であれ』FIBRA FCの指導方針として、選手の振る舞いが他人から見て応援してもらえるものなのかを意識する事を大切にしています。将来プロになりたいと思っているなら、彼らと同じ振る舞いをする事が重要だと考えているからです。プロになると、サポーターやスポンサーに応援し続けられる存在である事が不可欠です。実態としてはスポンサーからお金がクラブに入って、そこから選手の給料が支払われます。育成年代に置き換えると、『保護者や地域社会に応援されるような行動言動が毎日できているかを意識する必要がある』という話を下の学年から伝えるようにしています。関わってくれた人が少しでも幸せになってくれるように色々なカテゴリーの指導をしていますが、まずはその機会を頂けている事を幸せに感じています。1時間半、2時間といった毎日の指導時間だけでなく、それ以外にも同じくらいの時間を指導案の策定に使っています。毎日指導と計画の繰り返しですが、PDCAを常に回し続けられる環境とも言えます。「大変だね」と言われる事も多いですが、他では得難いこの環境に感謝しています。今後の目標は、FIBRA FCや自分に関わった人に少しでも幸せを感じてもらう事です。そのためにゆくゆくはFIBRA FC専用の施設を持ちたいと思っています。今は様々な施設を使わせて頂いていますが、自由自在により多くの機会を提供するために専用施設を持つ事が大きな夢です。