万全の対策が求められる指導者という立場大阪体育大学を卒業するときに、一般企業への就職・教員・もう少しサッカーを続ける の三つの選択肢が浮かびました。ちょうどその悩みに直面していたときに、大津高校の平岡先生(現大津高校サッカー部総監督)から「お前どうすんだ?」と連絡が来まして。「悩んでます」と僕が相談したところ、「明日熊本に来い、指導者やれ」とストレートに言われました。僕は東京でその連絡を受けたんですが、急遽熊本に向うことになりました。そこで僕が断れば、今このようなことにはなって無かったと思います。深く考えずに気づいたら熊本に向かってましたね。(笑)大津高校では平岡先生と澤村さん(ゴーリースキーム代表、当時大津高校GKコーチ)とサッカー部の指導をご一緒させていただいていました。今でもはっきり覚えてるエピソードの一つとしては、全国高校サッカー選手権一回戦の時のことです。無事にその試合に勝ってチームは良い雰囲気でしたが、そのときに澤村さんから「天野っち、もう選手じゃなくて俺たちは指導者なんだよ」って言われたんです。いわゆる、試合に向かう準備を徹底的にやりなさいというメッセージですね。ピッチ内でのアップに許された時間やアップ場所からロッカールームまでの距離がわかってなかった僕に、”自分のことだけ集中すればいい選手時代とは違って、チームのために考えて事前にシミュレーションを怠らないのが指導者”だと教えてくださいました。この一言は、今でも鮮明に覚えています。"正解を教えず、考え方を教える"選手と指導者で大きく変わったなと思うのは、”見える量が違う”ということです。一言で経験と言うこともできますが、見える景色が変われば見える量も変わると思っています。選手時代に見えなかったものが、指導者になって見えることが多々あるのでそこからその状況に応じて対応することの重要性は学ばせていただきましたね。こうして選手としても指導者としてもサッカーに携わることができているので、自分が大好きなサッカーをできる環境を作ってくれた周りの方々には本当に感謝しています。大津の平岡先生が常々おっしゃっていた ”人生我以外皆師” という言葉は今でも強烈にインプットされています。人のいいところを真似て、盗んで、自分のものにしていく。価値観みたいなものだと思いますが、高校時代に教わったものを今でも意識して生活しています。このように大津高校時代に自分が教わったことは山ほどありますが、”正解を教えず考え方を教える”というのもその一つです。絶対こうしろ!と指導者が決めつけることはないので、選手が勝手に追求して、学びを深める。そうすることでそれぞれのオリジナリティが出てくるんです。見知らぬ国で、新たなものを作り出す楽しさ現在の私のミッションとしては、四川省成都市での指導者育成と育成システムの構築です。“相手がどんな状況か、何を求めているのかを知る” という点は選手育成でも指導者育成でも変わっていない点だと思います。そこに対話が生まれてきますし、これができた上で考えを共有していくことになるので、指導者の育成に携わるようになった今もコミュニケーションの重要性を非常に感じています。逆に選手を育成していた時と指導者を育成している今で変わったところとしては、よりその国を知るようになりました。中国の文化、人柄、価値観を知った上でじゃあこの人はどういう人なんだろうという風に。より繊細に人を見るようにはなりましたね。自分も相手もお互いが全く知らないこの国で活動を始めてから、自分で考える楽しさを感じています。考えたことに対するトライも楽しいです。失敗やうまくいかないこと、障壁はいっぱいあると思います。でも、ただやらされるものじゃなくて、やってみようと思えることが素敵なことだと思います。気づいたら勝手に考えてしまうような。今も鹿島の時もそうですが、楽しめたらいいじゃんって思ってます。楽しくない時もどうしたら楽しめるのか考えます。楽しくない時が、自分が一番成長できる時かもしれないですからね。諦めることも、諦めないことも両方大事にはしたいですね。自分が楽しいと感じる瞬間を大事に。指導者長くやってて、ただシンプルに ”楽しいなと思える仲間ができたこと” が一番幸せです。自分の教え子だから、とかは関係なくサッカーやってる人サッカーやっていない人を含めていろんな人と出会うじゃないですか。いろんな人と出会って、そこで楽しいなって思える瞬間が一番この仕事をしていてよかったなと思う瞬間でもあります。もちろん、代表の試合を見て自分の教え子が出てると嬉しいですけど、普段道を歩いていてたまたまあって「久しぶりじゃん!」なんか言ったりするのも楽しいですし。そこに、順位ってあんまりないかなって感じですね。成都市サッカー協会でも、いい仲間に恵まれています。日本の皆さんが感じているものより、僕はポジティブな要素をここですごく感じているんですよ。ビジョンがしっかりと存在しているからですね。今後中国にはなかったものやシステムを作り上げていくことはものすごくワクワクします。大津高校や鹿島でお世話になって、いろんな人々と関わらせていただいて経験させていただいたものを全く知らない中国で何もない中進めていく面白さが一番魅力です。持続可能なものを作るのは大変ですが、それを阻む障壁は比較的外しながらできているので10年、20年経った後に中国サッカー界の象徴になるような場所に成都市がなったら最高だなと思いますね。諦めないように頑張ろうと思います。指導者養成と代表監督の視点から見る アジアのサッカー文化構築に必要なもの JFA海外派遣指導員と元プロ選手から見る、 アジアサッカーのポテンシャル