就職活動をストップし、プレーヤーとしてドイツへ指導者になる前から、選手をしながら指導の勉強をしていたので、そこで初めて指導の面白さや楽しさを感じました。当時は年齢的にも30歳ぐらいになっていて、怪我もあったりしたので今後のことを考えた時に、選手をまだしたいという気持ちから自然と指導者の方に移行できたのかなと思います。 さらに祖父と祖母が学校の先生で、自分自身も大学では教育学部だったので、日本にいる時から指導や教育に興味があったというのも大きな要因です。父親が仕事の関係でアメリカによく行っていたので、 自分も海外にはちょっと興味があったんです。就職活動する時も、海外の職を探していたりもしました。結果的に、地元の静岡で開催されたセレクションで合格をいただいてサッカーをしにドイツに来ることになり、以降も指導者としての楽しさを学ぶことができたので今でも指導を続けているといった感じですね。悩みよりも、楽しさやワクワクの方が高かったです。就職活動もあまりろくにしてなかったですし、実はJリーグのセレクションを受けたこともありました。Jリーグからは声がかからなかったですが、運よくドイツのクラブからお声をかけていただいたのでドイツに渡りました。高校の時にサッカーを辞めていて、大学でも草サッカーのような形で楽しんでいたので、もう一度真剣にサッカーができることの楽しみを感じていましたね。ドイツではサッカーが人気NO.1のスポーツですが、日本だとやっぱり野球や他のいろいろなスポーツと共にサッカーも人気がある状態ですよね。ドイツは本当にどこに行ってもサッカーっていうのが一番のスポーツなので、州一部リーグですら1000人とか1500人ほど観客を動員するんです。各アマチュアのチームも自分たちの自前のグランドを持っていて、地元の人たちが応援しに来たりする文化が普通に存在しています。トップチームだけではなく、セカンドチームやオーバー 50などの年齢の高い人たちのチーム、ユースチームも高校生年代から幼稚園までのチームがどこにでもあったので、それはすごくびっくりしましたね。(ドイツの名門シャルケ04による日本でのスクール活動にも尽力)異国の地で本格的な指導者人生がスタートドイツでは7年間で3つのクラブに在籍したんですけど、特に2つ目のクラブには合計3年間在籍していて、元監督とは今も交流があります。彼にはすごく寛大、寛容な精神というのを 感じました。そのクラブは人口二千人ぐらいの村のクラブなんですけど、そこに天然芝と人工芝グランド、クラブハウスもあって朝から晩までずっとちっちゃい子とか大人まで集まってきてサッカーをしています。そこでプレーさせていただいていた時には、ちっちゃい子からおじいちゃんまで色々な人に話しかけられたり、交流したりしていましたね。日本から来た訳のわからない若造を寛大な気持ちで受け入れてくれたのは本当にいい思い出です。そのクラブの監督には在籍当時からすごく良くしてもらって、僕のコーチングの勉強のために「トップチームに入れ」って言われて、結局3年間トップチームでサッカーをプレーさせていただきながら、セカンドチームや中学生年代の指導をさせていただきました。僕が帰国した後も、クラブの元会長が主催していたドイツで40年近く続いていた国際大会に、日本のチームを招待してもらっていました。彼らには本当に感謝しています。ザールラント州というフランスとの国境の小さな州出身の講師の方に、ドイツでのライセンス講習会で出会いました。その方はベッケンバウアー監督時代のドイツ代表に所属していたドイツサッカー協会の重鎮の人なんですけど、僕も彼の地元と同じ町のクラブに所属していたというのもあり、すごく仲良くしてくれたんです。UEFA A級の講習会の時も、冗談ばっかり言ってるんですよ。(笑)ドイツの育成改革を2000年ぐらいから始めた責任者の一人で、2010年のブラジルW杯で優勝した時のメンバーの多くをアンダー世代の代表監督として育てた経歴もあって。400試合以上指揮を取った人なんですけど、 本当にいつもニコニコしていて近寄るなオーラみたいな雰囲気は出さないですし、周りの人をすごく和ませてくれる雰囲気のいい人でした。A級の最後のテストが終わってから、「我々が皆さんのことを良い指導者かどうか判断する立場じゃないので、あとはグランドでどんどん活躍してください」とのお言葉をいただきました。ライセンス講習だからといって、「あれやれ」「これやれ」ではなく、「最低限のことは教えるけど、あとは自分次第だ」みたいな感じで送り出してくれたので懐の深さを感じました。選手の内発的モチベーションを引き出すのが指導者の役目僕が選手としても経験してきたことなんですけど、指導者のいない環境でプレイしていたことが多くて自分たちでずっと練習していました。監督のいない状況で自分たちだけでプレーしていましたが、サッカーが楽しかったという思い出はずっと残り続けています。ドイツに行ってからもすごく感じたことで、楽しいからこそ続けられたと思っています。もちろん文化の違いもありますが、ドイツでは暴言や暴力とは全くかけ離れた環境でサッカーをしていました。15年前くらいにある日本のチームがドイツ遠征に来た時、ベンチで選手にゲンコツする指導者を見て、ドイツ人の監督が「やめろ。警察来るぞ」とすごく焦った反応をしていました。日本ではその当時まだ当たり前の事だったんですけど、向こうでは15年以上前からそういうことにすごく過敏でした。ドイツでの指導の終盤は、中学生を指導していたんですけど、1回目か2回目ぐらいの練習の時に選手たちが言うことを聞かなかったんです。日本だと指導者が「何たらたらしてんだ」とか「しっかりやれ」と怒るような選手たちの態度でした。しかしそこで思ったのは、練習に楽しさやゲーム性がないということに対して選手たちは態度で示したんだなということです。日本であれば文句が言えない環境だとか文化があるかもしれないんですけど、大人と子どもの関係というのも同等で、指導者側がそれなりの楽しさやサッカーをやる意味をメニューを通して伝える重要性を痛感しました。それからは選手たちの練習メニューを工夫するようになりましたし、外発的なモチベーションではなく内発的なモチベーションを生み出すような指導というのがすごく大事だなと思いましたね。こういった経験が、日本に帰国してからの自分自身の指導にも大きく影響しています。選手を引退してから初めて本格的に日本人の中学生を指導してからは、対応の仕方が変わりました。日本人は受け身の姿勢が強いので、ある程度 指導者側が提示してあげなきゃいけないっていうのもあるのかなと感じました。全部を選手に任せると、「何をしていくのかわからない」みたいなことになってしまうので。ドイツと日本ではサッカーだけではなくて、文化や教育のスタイルが全然違うと思うので、全部ドイツのやり方を押し付けるというわけではありません。チームによって、選手によって、指導者が柔軟に接してあげないといけないと思います。楽しみとスキルアップを両立する選手たちを見ている時が幸せ選手たちが夢中になってサッカーをしているところを見たときに、指導者をやっていてよかったと感じます。サッカーを楽しみながらも本気で勝ちたいという気持ちを自然と引き出せるようなメニューを提示してるので、そこで選手たちがそのメニューを楽しみつつもスキルアップできた時はさらに嬉しいですし、それが試合の結果につながる時も嬉しいです。 あとは、そういった選手たちが例えば卒業したりとかで、長く会わない期間があった後、急に連絡をくれたりもします。彼らと選手と指導者としての関係が終わっても、一緒にプレーしたり。本当に幸せな時間ですね。これまで教えてきた選手がサッカーを続けていても、サッカーをやっていなくても人として成長していく姿を見るのが指導者としての楽しみになりました。これからは、色々な地域に関わる機会や指導者の方と関わる機会を作って、僕がドイツで学んだことを多くの人たちに提供できればなと考えています。僕は一度日本でサッカーを辞めた身でありながら、ドイツに行って選手としても指導者としてもサッカーの楽しみを再確認できました。そういったようなすごくいい思いをさせてもらったので、必要としている人にどんどん伝えていきたいです。そして、僕が伝えたことで選手たちが嫌な思いをしたり、理不尽に接されることがないように指導者としてお互いにレベルアップできるような環境を作り出したいなと思っています。