一度は諦めたサッカー指導者の道を、スペインで再始動。サッカー指導者を志したのは、大学一年生の時です。大学に入学し将来自分が何をしたいのかを考える時間が多くありました。その時に、サッカー指導者という目標が出てきて、夏頃から中学生のクラブチームの指導をスタートし、指導者としてのキャリアがスタートしました。大学時代はその中学生のクラブチームで指導していたのですが、挫折や将来職業として指導者を続けていく難しさを感じていました。そして大学を卒業する前のタイミングで指導者をやめようと決意しました。大学卒業後は指導の勉強をするためにオランダかスペインに留学をすることは決めていたので、『指導の勉強をする』という目標は無くなったんですが、海外に行くことで今自分の中にはない新しい道が見つかるかなと思い1年間のつもりでスペインに留学に行きました。留学先のバルセロナではサッカーの街ですし、サッカーをプレーしながら現地の指導に触れることも多かったです。サッカー観が日本と違う点に好奇心が刺激されて、一度は諦めた指導者の道でしたがスペインに渡って3年目にコーチングスクールに通い始めました。その後プレーしているクラブのアンダーカテゴリーのチームを指導を続ける中で、バルセロナで出会った日本人サッカー仲間の方に「真人はしっかりとした価値観を築いてきている。これからはそれを表現するフェーズではないか?」と言われた言葉が胸に残り、”サッカー指導者として生きていく” 覚悟が決まりました。『サッカーにおける判断の需要性』に好奇心が沸き、スペインで培った指導力スペインのアマチュアレベルでサッカーをプレーしていた時に気づいたことは、技術やフィジカルといった目に見える部分よりも、判断という目に見えない部分に対する指示が多いことです。判断=戦術というふうに理解しているのですが、まさにその判断の部分を指示される部分が多かったので、サッカーの見方が変わりました。さらに、通っていたコーチングスクールのカリキュラムで判断の基準となるコンセプトが明確に記されていたので「もっと深く知りたい」という好奇心が沸きました。「指導者になりたい」よりも「もっと突き詰めたい」という思いでそこのコーチングスクールに通い始めました。現在の指導のベースになっているのは判断の基準を示し、選手のプレーを助けていくということです。ヴェルディ、セレッソ、エスパルスで一緒に戦ったロティーナさんも判断の基準を明確に持った監督です。ロティーナさんとイバンさん(ロティーナ監督のアシスタントコーチ)とやってよかったなと思うのは、自分がスペインで学んだ知識を一つのゲームモデルとしてチームに落とし込むというプロセスを、通訳と分析担当として経験できたことです。名将ロティーナ監督との出会いが、指導者人生におけるターニングポイントに。ロティーナさんとの出会いも偶然が重なった形でした。ヴェルディの羽生社長(当時)がロティーナさんとバルセロナで会食するときに、予定していた私の知り合いの通訳がたまたま行けなくなってしまい、代わりに私が行ったところからの流れです。Jリーグとは無縁の人生だったので、こんなことが起こるんだなという不思議な感覚でした。ロティーナさんがセレッソに来ることが決まった時は玉田前社長がいらっしゃる時だったのですが、初めて森島現社長とお会いしてこれからよろしくお願いしますとなった時には、憧れのプレーヤーだった森島さんとこのような形で出会うのが本当に不思議な感覚でした。自分の力だけではできなかったことですし、色んな運や巡り合わせで小さい時から見ていたセレッソに入ることになったので「人生ってこんなことがあるんだな」といった気持ちでした。ロティーナさんのもとで分析コーチとして指導していた時と、今ヴェロスクロノスで監督として指導している中で一番違うところは、決断を下すということとグループのマネジメントの責任を持つということです。これらは監督にしかできないことなので、責任や重みは常に感じながら指導しています。ヴェルディの時もセレッソの時もエスパルスの時も勝った時はすごく嬉しかったですが、監督として勝った時の嬉しさはまた違うものがあります。どんな決断にもポジティブな部分とネガティブな部分があると思うのですが、ネガティブな部分への目や批判を受けるのも監督の立場です。監督をしてから、コーチ時代は決断することの大変さを理解できていなかったことに気づき、ロティーナさんに申し訳なかったなと思いました。分析コーチの時は、自チームと相手チームの分析や、相手のストロングポイントになるプレーヤーを分析して個々の選手に対応策を伝えたりチームでの戦い方を指導していました。分析がハマり、選手たちが試合に勝利した時はすごく嬉しかったです。監督になってからは、選手たちをメンバーから外す決断をすることが何回もありますが、腐らずに練習に対しての情熱を出してくれる選手たちが自分で掴んだチャンスをモノにしてくれる時も大きな嬉しさを感じます。そういった選手がゴールした時に、ベンチにいる自分の元へ走ってきてくれたシーンも嬉しかったです。 チームをJFL昇格に導き、Jリーグで監督として世界に通用する指導者を目指す。ヴェロスクロノスとしてのチームの目標は明確で『九州リーグを優勝してJFL昇格』です。去年は地域CL一次リーグで敗退し、JFL昇格を逃しました。そこから昇格した2チームである沖縄SVさんやブリオベッカ浦安さんはリーグ戦でも対戦しており、非常に悔しい思いをしました。差があったから破れてしまったのですが大きな差ではなかったと感じました。我々の中で基準がはっきりしました。この差を埋めて超えて、JFL昇格に向けて全力で取り組んでいきたいと思います。今季は地元宮崎で地域CLが開催されるので、そのために過酷な九州リーグでの戦いに一戦一戦集中して優勝したいと思います。個人的には去年監督をスタートして、スペインの最高位ライセンスは持っているのですが日本のライセンスとの互換性がないため、4年後に取得できるS級ライセンスをとってJリーグの舞台で監督をするというのが目標です。世界で通用するような指導者になりたいと思っています。Jリーグで挑戦したいし、海外のトップリーグでも指導してみたいですね。