サッカーがと生きている幸せを実感した出来事ある女性との出会いがきっかけです。東芝で選手をやっていた時、右足を怪我して長期入院した事がありました。精神的にも傷つき、入院生活を送っていたのですが、担当医に「診ている患者さんがサッカー好きなので良かったら話してあげてください」と言われました。病室を訪ねると、20代前半の女性がベッドに座ってニコニコとサッカーの応援に行きたいと話してくれました。今でこそJリーグもたくさん観客が入りますが、当時はお客さんもいない時代だったので嬉しかったのを覚えています。やがて僕は退院し、リハビリをして回復していきましたが、先生に「そういえば、あの彼女どうしていますか?」と聞いた時に「彼女は骨肉腫で亡くなってしまいました。前に柳楽さんと会った時にはもう足がなかったんですよ」と言われて頭を殴られたような衝撃が走ったんです。自分の弱さが恥ずかしく、恵まれた環境の中でサッカーできている事を再認識しました。自分の状況に感謝し、指導者を志そうと気持ちが切り替わった出来事です。指導者として大切にしている事指導者は経験だけでは語れないところがたくさんあります。常に勉強し続けなければなりません。指導を始めて経験値だけで教える事は難しいと感じる場面が何度もありました。あとは、確固たる信念を持つ事も大切です。人は悩みや不安を抱えるとどうしても楽な方に流れてしまいます。自分の中にぶれない軸を持って指導に取り組まなければならないと考えています。今は山梨県で子ども達を教えていますが、県内で強くても県外に出るとなかなか強豪には歯が立たない事があります。メンタル的にもギリギリの勝負をした経験がないので緊張してしまうようです。常日頃から『試合は練習のようにやろう。急に上手くなる選手はいないから、ひとつずつ積み上げていくしかない』という事を伝えています。台湾女子代表監督時代の苦労最初はゴールキーパーコーチとして着任しましたが、半年後に監督のオファーを受けて監督に就任しました。約4年間監督を務め、その後1年間、ボランティアという形で台湾チームに関わりました。監督として初めに取り組んだのは協会との関係作りです。相手の言い分も聞きつつ、自分の意見も伝えなければなりませんが、在任期間中に協会の会長が3回、ナンバー2が4回変わりました。その度に今まで話してきた事がゼロベースになったり、方針変更があったり、とても苦労しましたが今となっては良い経験でした。台湾は暑い国だとイメージされますが、12~2月はやはり寒い。トレーニングや遠征用にシューズやウェアを揃える必要がありました。国内では流通していないし、海外から取り寄せるお金もないという事で、まずは資金集めに走りました。台湾にある日系企業に飛び込みで協力を依頼したり、古巣、東芝に掛け合い何とかお金を作りました。チーム力強化の為にドクターとは別にフィジカルコーチに来てもらうという、今となっては当たり前の環境も自分が掛け合って実現したものです。4年間のうちに土を掘り起こし、肥料を撒いて、土を耕し、種を撒いて花が咲くまで育てる事を一通りやりましたが、今でも『そういうきっかけをつくったのは柳楽さんだ』と言ってもらえるのが嬉しいです。指導者冥利に尽きる瞬間監督時代は、自分のイメージした通りのゲーム運びで選手が良いパフォーマンスをして、勝利に導く事ができた瞬間が一番嬉しかったです。今は子ども達がピッチの中でイキイキと笑顔でサッカーを楽しんでいる姿、もっと上手くなりたいという気持ちが溢れている瞬間を見るのが何よりも幸せです。スポーツクラブで初めてサッカーに触れる子どももいます。真っ白の状態の彼らにとって関わるコーチの影響はとても大きいです。スタート地点で間違った事を教えてしまったら、少しのひずみがどんどん大きくなっていきます。指導者は情熱を持つだけでなく、責任感を持って子ども達を導いていく事が大切だと考えています。ありがたい事に今まで色々な経験を積ませていただきました。今後も人と人との出会いを大切にして、指導者を続けていきたいです。Uスポーツクラブから代表選手を輩出する事を夢見ています。