ご縁に導かれて切り拓いていったサッカー人生サッカーは小学校三年生から始めました。中学校に上がるときに、サッカー部がなかったのでバスケ部でバスケットボールをしながら地域のママさんサッカーチームに入れてもらえることになったんです。このママさんサッカーのチームを立ち上げられたのが森本哲郎先生という方で元々日本代表チームのドクターをされている方でした。ジェフ千葉でも長くチームドクターをされていて、先生の紹介もあっていろんな高校を受けた中で静岡学園に入学しました。静学に通いながら、鈴与清水FCラブリーレディースという企業のチームでの練習に参加していました。その頃から、アトランタオリンピックの影響もあって女子サッカー界が盛り上がっていたのですがそのバブルも崩壊し、企業のチームが軒並み廃部になるという波に飲まれる形で鈴与清水も廃部になってしまいました。私自身も膝の怪我を抱えているタイミングだったので、どうしようかなと思っていたところ本田美登里さん(現女子ウズベキスタン代表監督で、日本人女性史上初のS級ライセンス取得者。女子日本代表で活躍する多くの選手を育成。)に声をかけていただき、当時本田さんを監督として立ち上げた岡山湯郷Belleに所属することになったんです。選手としては怪我がちだったので岡山でも長くは現役でできなかったですが、サッカーとずっと関わっていたいという思いから指導者を志しました。「サッカー界でやっていくなら謙虚さ、人間力を磨いていきなさい」という森本先生の教えもあり、さまざまなご縁に恵まれています。現湘南ベルマーレ監督の山口智くんは同い年で同郷の高知県出身。彼とも森本先生の縁で中学生時代からの間柄で連絡を取る仲です。森本先生がいらっしゃったことでサッカー界で生きていけていると思っているので、先生から教わったことは忘れないようにしています。サッカー界への扉を開いてくれた森本先生は、私を娘のように可愛がってくださって本当に感謝しています。私自身が納得できないとやらない生活というのもあり、岡山に行ってからも怪我がちで自分の満足いくパフォーマンスができていなかった中で葛藤もありましたが現役は引退しました。そこから色々なサッカー以外の経験もさせていただくうちに、やっぱりサッカーが好きなんだなというのに気づいたんです。選手では無理だけどサッカーに携わるなら指導者かなと思って指導者人生をスタートしましたね。これまでの人生ほとんどの時間をサッカーに費やしてきたのでこれしかないという思いでした。セレッソでの監督からタイでの代表監督へ。国内外の指導で感じた “プロ意識を普及させる責任”JFAナショナルトレセンでのコーチ・ナショナルコーチングスタッフを経て、セレッソ大阪堺レディースで監督も務めさせていただきました。セレッソは、”育成のセレッソ” として男女ともに育成がしっかりしているイメージで注目されていますが、実はレディースは生え抜き一本でチーム作りしているんです。つまり、外から選手を迎え入れるのではなく自分達のアカデミーで育った選手たちを昇格させるというもの。これは、日本のサッカーチームでもかなり特有の育成方法による成功例だと思います。関西エリアトップの選手たちが集まってくるので、元々意識も技術も高い選手たちばかりです。サッカーに対して本気でやっていてもチームに残れない選手が出てくる世界で指導者をさせていただいたことは、指導者として勉強になりました。逆にタイに来てからは、意識のある選手たちは勝手に育つ環境はあるんですが意識のない選手たちをどのように高い意識に持っていくのかというところが本当に難しいです。”意識に幅のある選手たちを同時に教える難しさ” はタイに来てから実感したことですね。タイの代表選手にもプロ意識をまだまだ伝えていかないといけないので、日本での指導経験とは全く別物として捉えています。「生きていく上で精神的にも経済的にも自立しているか」はサッカー選手においても重要な部分です。どうしてそうなりたいのか?なぜサッカーしているのか?という本質に気づかせてあげないといけないと思っています。本質を自分でしっかりと持っているのであれば、少しのことで諦めたり嫌になって足を止めることがないと思います。いろんなアプローチから、選手自身に本質を気付いてもらえるような指導をしています。タイ代表にもベテランの長く代表に入る選手がいるんですが、時間にルーズだったり規律を乱す選手も出てくるわけです。そういった選手を代表から外したりすることで、他の選手からしても基準ができます。誰に、とかではなくて誰にでもフェアに接することで「この監督はフェアなんだ。」と私自身の基準を示すことにもなります。これが自分の中でブレたらフェアではなくなるので、ブレないようにするのは大事なことだなと感じます。誰が見ても皆が平等に扱われているなと思うように意識しています。(写真上段右から四人目が岡本さん)選手が困ったときに ”頼りになる指導者” としてセレッソでは、13歳から大卒2年目くらいの年齢の幅のある選手たちを見てきました。外に出た選手もいるし、中にいる選手もいますが、選手が何か困ったときに連絡をくれるんですよ。これは指導者やってて本当に嬉いことです。だいたい人間は、困ったときに人を頼りにしたくなりますよね。選手が困った時に、自分を頼りにしてくれることは指導者冥利に尽きると思っています。「あの人は薄っぺらかったな」と思っていたら連絡さえしてもらえないわけなので。「岡本コーチからの指導がやっとわかるようになりました」と卒団の頃に言ってくれる子たちもいて。あとから「あのときこう言ってたな」と思ってもらえるなら良いと思っています。タイでは、言葉が通じないところが難しいと感じていますが言葉だけじゃなくて本当に想っているということは「想い」として通じる部分もあると思うので、意思疎通まで少し時間がかかるときもありますが本意がうまく伝わるように工夫しています。「タイ女子サッカー界の更なる発展に全力で関わりたい」昔からお金とかではなくて理念や理想、やりがいや目標に向かっていくことが好きです。うまくいこうがいかまいが、結果へのプロセスに自分が納得いくまで突き詰めるのが好きなので、難しい世界に自ら飛び込んで挑戦することが自分には合っているんだなと思います。それが自分の人間性磨きの勉強にもなっているので、考え方やこのスタイルは変わらないと思います。タイで頂いたこのようなチャンスも、自分が持っている今までの経験であったりすこしでもタイの女子サッカーがよくなる方法を全力で模索していきたいです。ビジョンやプランを持たないと結果もなかなかついて来ないと思うので、ビジョンやプランをしっかり定めてチャレンジすることができる選手を育てていきたいと思っています。でも、これは日本人的発想の押し付けなのかもしれないという思いも出てきましたので難しいですね。今後についてもサッカー界のタイミングもあるので望むところで指導できるかは分かりませんが、これまでのように頂いたご縁であったり『自分の本当にやりたいことなのか』という信念を大事にして、いつかは日本女子サッカー界に自分の経験を還元していけたらいいですね。指導者養成と代表監督の視点から見る アジアのサッカー文化構築に必要なもの