名将たちに学んだ、監督として必要な素質指導者を目指したのはやはりサッカーに関わり続けたかったというのが大きな動機です。人生経験の中で幸運にも、英語とサッカーという『乗り物』を得たので様々な国に行く事が叶いました。子ども達に自分が見聞きした事を伝えたいという考えで指導者のキャリアをスタートしましたが、今振り返ってみると自分が成長させてもらった事の方がずっと多かったと感じますね。選手時代から監督がどのように練習メニューを組み立て、チームを創り上げていくのかに興味がありました。引退後サッカースクールで指導をしたり、監督になった時にも少なからず選手時代の監督からの影響を受けていると感じます。早稲田ユナイテッドで監督をしていた期間多くの事を学びましたが、自分の事を客観視できていたかでいうと、「No」と言わざるを得ないです。その後、横浜Fマリノスや清水エスパルスで監督通訳になり、チームの全体像を見渡しながらコミュニケーションを取るようになりました。アンジェ・ポステゴグルー監督(現 トッテナム監督)やピーター・クラモフスキー監督(現 FC東京監督)のようなトップレベルの指導者の元で、監督に必要な素質について幅広く学ぶ事ができたと実感しています。指導者として最も大切にするのは『知的謙虚さ』知的謙虚さを忘れないよう心掛けています。監督というポジションは権限が強いのでチームのプレースタイル含め様々な事を決められてしまいます。自分の意思決定が間違っていないか常に疑う気持ちを忘れてはいけません。「この練習メニューが絶対に正しい」と思い込むところに落とし穴が隠れています。コーチから反対意見を言われた時に否定するのではなく、何故そのような考えに至ったのかまずは耳を傾けるようにしています。自分の信念を持っているからこそ「こういうフットボールで観客を熱狂させたい」と強く願うわけですが、信念と知的謙虚さのバランスはとても大切です。就任二年目でJFL昇格達成とにかくアップダウンが激しいシーズンでした。2年連続関東リーグ優勝を目標に掲げスタートしましたが、結果は2位。全国社会人サッカー大会でも全社3位以内を目標にしていましたが、まさかの1回戦敗退。FC徳島が勝ち上がったので100年構想枠が回ってきて、どうにか最後のひと枠に滑り込む事ができました。選手だけでなくスタッフ含めて心がざわつく瞬間は何度もありましたが、最後の最後までチームでひとつの目標を追いかける事ができました。監督として「まだ可能性が残っている限り全力で向かっていこう。行動、言葉、全部が繋がってくる」と声をかけ続けました。栃木の子どもたちに夢を与えるクラブにクラブとしては今回カテゴリーが上がり昇格する事ができましたが、チャレンジャーという立場です。栃木の子ども達が「このエンブレムを着けてプレーしたい」と思うようなクラブに成長していきたいです。次はJ3昇格を目指し、JFLで優勝もしくは2位という結果を残せるよう努力します。個人としては、常に今矢直城をアップデートし、今目の前にある事に一生懸命向き合っていきます。5年後、10年後にこのインタビューを振り返った時に「あんな恥ずかしい事言っていたな」と笑えれば、自分自身が成長したという証だと思うので、それを目指して日々を丁寧に過ごしていきたいです。