中学校教員から水戸ホーリーホック普及スタッフへかなり早い段階から、教員になろうと決めていました。小学校4年生の時に出会った”お父さん”みたいな先生に憧れ、当時から「自分は先生になるんだ」と言っていたと思います。大学卒業後、中学校の数学教員として4年程勤務したのですが、現在の立場に至った経緯は、水戸ホーリーホックの普及スタッフの人と繋がれた事が大きかったです。元々、中学の部活顧問をしている時から、Jリーグの社会連携活動にすごく興味があり、Jリーグの100年構想といった概念にもワクワクしていたんです。勤務している中学校でも取り入れたいと思い、社会連携活動を真似して様々な活動をしました。例えば、勤労感謝の日に、近くのデイサービスセンターへ鶴を折ってプレゼントしました。更に、生徒自らボランティアセンターに「何かできませんか?僕たちはこういう感動を与えるチームを目標にしています。」と働きかけ、区内のパラスポーツ団体と一緒にイベントボランティアとして参加した事もありました。こういった活動実績からも分かるように、Jリーグの掲げる理念へのアンテナは教員時代からすごく立っていたと思います。場所は変わっても、人を育てるという役割は変わっていない中学校の部活動の顧問の先生が自分にとって一番印象的な指導者です。中学最後の大会時に、チームの中でキャプテンとしてうまく立ち回れなかった自分に「お前は悪くない」という優しい言葉をかけて、熱く抱擁してくれたのがすごく嬉しかった事を覚えています。サッカーを教わるという以前に、一人の人間として育ててもらった経験が自分の指導者としての軸になっています。中学校教員からJリーグのスタッフになり、環境は大きく変わりましたが、場所や対象が変わっただけで、「人を育てる」という部分は何も変わっていません。教員時代には部活のサッカーを通じてどう生徒の成長を促すかを一番の軸にしていました。水戸ホーリーホックというJリーグのクラブチームに入ると決めたのも、教育的観点があると感じたのが大きな理由です。実際にスクールやアカデミーで伝え続けているのは、「サッカー『も』できる人間になろう」という事。サッカーは手段であって、目的ではありません。サッカーを通じて、どういう人間になりたいか、というのを考えていく場なので、スクールの生徒たちに様々な事を提供できる今の立場にとてもやりがいを感じています。サッカーは楽しいという事を伝え続けていきたい凄くシンプルな事かもしれませんが、サッカー好きの子どもがサッカー好きのまま卒業する事を絶対的に大切にしています。サッカーに出会って、サッカーを選んでくれた子どもたち、中にはサッカーを通じて成長したいという思いを持っている子どもたちを離してはいけないという事を指導者の使命として掲げています。サッカースクールは幼稚園児から小学校6年生まで、その先にはJクラブのジュニアユース、ユースと続いていくわけですが、自分が関わっているどの年代の子どもたちにも一言目に「サッカーってすごく楽しいものだよ」と言ってもらいたいです。日本においては、まだまだサッカーは発展途上ではありますが、自分が関わる事でサッカーという文化づくりに貢献できたらとても嬉しいです。人を育て、一緒に点を決めた喜びを分かち合う瞬間が一番やりがいを感じる指導者冥利に尽きる瞬間は2つあります。1つ目は得点した瞬間です。たとえ負けた試合であったとしても、あの点数を入れた瞬間の喜びはサッカーでしか味わえないものだと思います。サッカーは一番引き分けの多いスポーツで、1点の重み、1点の喜びはその分他の種目よりも大きいと感じます。自分が教えている子どもたちと一緒にチームでその喜びを感じられるのが嬉しいです。2つ目はやはり人を育てる事です。卒業のタイミングや1年の終わりのタイミングではもちろん、ふとした練習の中でも「コーチの教えが自分のためになって自信がつきました」「サッカーが楽しい」という言葉を聞けた時には、それは直接的であっても間接的であってもすごく嬉しいです。人をより豊かにする夢や希望を与える人間になる人生のモットーが、「人をより豊かにする夢や希望を与える人間になる」事で、これをJクラブスタッフとしてどう繋げていくかを考えています。Jリーグの魅力やパワーは物凄く大きくて、どの年代、どの世代、どの性別にもヒットして感動を湧き起こすものです。更に、そこから夢や目標が生まれてくる。一人のJクラブ指導者として、クラブをもっと大きくしていきたいという気持ちと、Jクラブに関わったからこそ幸せが増えたというサイクルをもっとたくさん作っていきたいと思っています。