高校入学と同時に思わぬ形で始まったサッカー人生高校一年生の時にサッカーを始めました。元々バレーボールをずっとしていて、高校もバレーが強い高校に進学したんです。初めは体育コースを受験したんですが、落ちてしまって普通科に通うことになりました。その高校のバレー部は全寮制で、私は普通科なので学校の授業も頑張りながらバレーも頑張らないといけない環境です。私たち普通科の生徒が帰る時間は決まっていたんですが、その後も全寮制の子たちはガンガン練習するみたいな感じで。この環境で三年間頑張っても、全寮制の子たちとは練習時間が違う中で試合に出ることができないのではないかなという不安もありました。そこで、体育コースも普通科の子たちも同じ時間練習のできるサッカー部に入ることになりました。これがサッカーを始めた最初のきっかけです。バレー部がもしサッカー部と同じような形態なら、絶対バレー部に入ってましたね。当時のバレー部の監督さんに会うと、「お前ほんとサッカーを選んでよかったな」って言われます(笑)サッカーを始めてからは最初の方からGKとしてプレーしましたが、バレーと通ずるところも多いので案外すぐ好きになりました。バレーをしている時も、レシーブが好きだったのでGKが苦に感じたことはなかったですね。そこからどんどんサッカーにのめり込みました。高校生の頃の先輩方が社会に出て、社会人チームでサッカーを続けている姿を見て、”就職して働きながらサッカーを続ける” ことにすごく憧れを抱いていました。なので、自分は大学に進学するよりも、そういった先輩方と同じように仕事しながらサッカーを続けるという道に進む気持ちでいました。当時、今のようにプロリーグもなかったし女子サッカー自体の知名度が高くなく、日本代表があることすらも知らなかったので。初めからプロや代表を目指す気持ちでサッカーをしていたというよりは、本当にサッカーが好きで続けていましたね。怪我の経験から、今選手たちに伝えること。21年間サッカー選手としてプレーさせていただきましたが、10代~20代後半は ”自分の技量をレベルアップさせる” ことに重きを置いて、それ以降は幅広い選手になりたいと思うようになりました。人に伝えることで、自分がやるべきことを整理できるということがわかるようになったのも、澤村さん(数々の名GKを指導したGKコーチ)のおかげだと感じています。澤村さんにご指導いただいた時に「すごい伝え方するな」と感銘を受けたのをきっかけに、現役時代から高校の女子サッカー部などに指導に行かせていただき、少しずつ指導者としての道を志していったという感じです。選手時代に澤村さんはじめいろいろな指導者の方にお世話になり、こういった方々に教えられたことが今指導者として大切に持っていることに生きてきているという実感はものすごく感じています。二十歳の時に怪我をしたんですけど、その時はまだ自分も若かったので絶望的になるんです。その時、当時の監督さんに「怪我の一個や二個することで、大物になれるかなれないか変わってくる。今は、ちゃんと怪我に向き合ってしっかり復帰してきなさい」と言われたことがありました。怪我してから復帰するまでの計画だったり、サッカーをできない時のメンタリティ、チームメートへのピッチ外からのサポートなども学びながら怪我に向き合えたこともよかったなと思います。逆に、指導者になってから大きい怪我をした選手に対して「これを乗り越えたら、違う世界が見えてくるよ」というのを自信を持って伝えられることができているのは、大きいなって思いますね。技術の面で言うと、自分が全然できなかったブロッキングに関して澤村さんが一対一で向き合って教えてくれたことが印象に残っています。できなかったことができた瞬間に、一緒にハイタッチして喜んでくださったんですよ。こういった選手との向き合い方は、今私が選手を指導している時に実践してるところです。でも、全ての選手といいコミュケーションが取れているかというとまだまだ自分の実力でできていないところもあるので、難しいなと感じる部分でもあります。"自分の常識は他人の常識ではない"自分のこだわりが強くなりすぎていけないと言う思いは常に持っています。「これ当たり前でしょ」「これは常識でしょ」という考えを前面に出しすぎると、選手も一歩引いてしまう場面があると思うので、”自分の常識は他人の常識ではない” という思いを持って指導することを心がけています。自分のこだわりよりも、”この人にとって何が今必要か” を考えて指導しているつもりですがこれはなかなか難しいですね。自分の経験がまだ浅いので、これからより個人と向き合った指導ができるよう日々模索しています。指導者としては、自分が指導する選手が試合で最大限のパフォーマンスを出せるようにサポートするのが役目です。一番最初に指導した経験は男子高校生だったのですが、当時は「舐められちゃいけないな」と思い強く指導していたことがあります。そこから自分が元いたチームでもあるちふれにきて、これまでの「高校男子vs山郷のぞみ」というような立ち位置ではなく、人間性に反したこと以外は選手によって歩み寄り方を変えるのも大事だと気づきました。私は海外でプレーした経験もあるんですが、海外の指導者の方々はフランクでオープンでどんなプレーでも前向きに伝えるスタンスはありましたね。でも試合後には通訳を通して、「あなたはこういうことが苦手だよね、こういうプレーをもっと磨きなさい」と私をよく見てくれているなと感じる部分も多かったです。選手が壁を乗り越える過程に携われることが、醍醐味あるとき指導する選手があり得ない失点をした時があって、「あなた、それ取れなかったら代表選手無理でしょ」とそのまま伝えたんですよ。選手はそれ以降、私の言葉をしっかり受け止めて次の日からこのプレーをできるように努力し始めたんですね。この選手に向き合ってサポートしていくうちに、すごく時間がかかったのですが選手自身で克服できたんです。その時は、すごくうれしかったですね。この選手と同様、練習で頑張って取り組んできたことを試合で発揮している姿を見ると、指導者冥利に尽きるなと感じます。選手自身ができないと思っていることをできるようになる、苦手を克服する家庭が一番大切だと思っているので。諦めてやらない選手もいるし、できたと勘違いしてそのまま進むことで同じ状況に戻ることもあるんですが、選手の成長を一番近くでサポートできるっていうのが指導者の醍醐味です。時間はかかりますし、選手がうまくいかない時に「自分の力量のせいなのかな」と不安になることもあるんですが、私の指導を信じて我慢して取り組んでくれる選手には本当に感謝しかないですね。指導者として嬉しいなって思います。サッカー全体を通して指導できる指導者になりたい自分のこれからの夢は、”サッカー全体を通して指導できる指導者” です。もちろんGKを含め、それ以外のポジションやサッカーの全体像を理解し、サッカーは11人のスポーツということを伝えることができる指導者になりたいです。GKという部分では、育成年代の中でも中学一年生って伸び代が一番あるんです。ちふれのU15 U18の選手なんかを見ていたりすると、ゴール裏からアドバイスさせてもらうことがあるんですが、すぐ変化が見られるのでその反復をより近くで見てみたいなという思いもあります。クラブとしても、アンダーカテゴリーにGKコーチとしてGKに特化した育成のスペシャリストをおくことは今後ますます求められることだと思います。ちふれとしては、昨年度落ちるところまで落ちている状況で上に上がるしかないところなので、一つ一つステップアップしていく過程に携われることに感謝しながら過ごしたいです。リーグの目標としては中位以上の成績をチームで目指すことに全力を注ぎ、3選手いるちふれのGKたちが充実した一年間を過ごせるようなお付き合いをしていきたいなと思います。