指導者一本で活動していく決め手になったもの-黒澤さんが指導者を志された経緯を教えてください指導者になったきっかけは、仙台大学でプレーヤーをしていた時です。3年生になるタイミングで当時の監督から「女子チームの指導者をしてみないか」と声をかけていただきました。即答で「やります!」と言ったわけではないですけど、指導者を経験すればプレーヤーとしても成長できるでしょうし、やっぱりサッカーが好きだったので現場に立てるならぜひ、と引き受けさせていただくことにしたんです。当時の僕は、プロを目指してサッカーを続けてきたけどその先が見えなくなっていたのもあり、指導者の道に足を踏み入れる良い時期だったのかもしれません。大学3年生の1年は、女子チームの指導者とプレーヤーの活動を両立してみました。サッカーの面白さを伝えることがすごく楽しかったんです。教えることで頭の中が整理されて自分のプレーにも活かせたんです。ところが、時間の制約がある中2つの活動を並行することはすごく大変でした。中途半端な指導になっている気がすると自分にも腹が立って。教えてもらう側のことも考えると、4年生になった時に指導者1本にしようと決めました。「選手ファースト」で女子選手との信頼関係を築く-これまで出会ってきた指導者の方からの影響が、今に繋がる部分もあるのでしょうか?僕がサッカーを始めたのは小学校2年生の時でした。これまでお世話になったコーチたちの教え方に共通していたのは、何かを強制するというよりも自由にのびのびとサッカーをさせてもらったことです。-ご自身が大切にされている指導軸はどういったものがありますか?監督になって今シーズンで2年目です。やはりコーチ以上の責任の重さを実感していますが、コーチだろうが監督だろうが指導者としての姿勢は変わりません。コーチ時代も今も「選手ファースト」で物事を考えてます。選手と一緒に練習する2時間は、24時間ある1日のわずかな時間かもしれません。そうは言っても、わざわざ時間を作って来てくれるからにはサッカーを楽しんで欲しい。何か嫌なことがあったとしても、その時間だけはサッカーを存分に楽しんで欲しいと思っています。とはいえメリハリは大切で、例えば試合会場に行った時の挨拶を徹底してます。何より大事なのは、信頼関係を築くことです。選手の考えをよく聞かないとこちらの話も聞いてもらえません。男性指導者という立場もあると思いますが、男子選手を相手にするときよりも難しいです。-なるほど、指導者になられてから感じた難しさもあったんですね。大学3年生で指導者になった時は年上の女子選手にも教えていて、最初はコミュニケーションで苦労しました。その時の学びをこれまでに活かせています。もう一つ、教える立場になって難しいと感じることは、動作を言葉で説明することです。僕もプレーヤー経験がありますけど、指導者になるまでは感覚でできていたので毎回言語化する必要がなかったんです。いろんな指導者の話を聞いたり映像を参考にして、どうやったら選手に伝わるかを研究します。チームとして目指すは日本一。そこから女子サッカーに注目してもらえるようにしたい。-指導者になってから、幸せを感じる瞬間も多かったと思います。いくつか教えていただけますか?指導者になってやりがいを感じた出来事といえば、母校の大学に関わり始めて6年目の年に、母校がインカレで初めてベスト8に進めた時です。僕もとても嬉しかったし、嬉し涙を流している選手を見ながら指導者をしてよかったと思いました。一人一人が自分を感じてくれた時に指導者という仕事に関われた喜びを感じます。KYOTO TANGO QUEENSに来てからは指導相手が中学生に変わり、その他にも高校生から社会人まで様々な年代層の方がいます。-最後に、黒澤さんの夢や目標を教えてください僕がチームとして叶えたい夢は、日本一になることです。チームの勝利はもちろんのこと、サッカーの楽しさと厳しさを全国に広めたいと思っています。個人の目標は、これから指導者ライセンスA級やS級にどんどんチャレンジすることです。僕は27歳なんですけど、様々な年代の方にサッカーの楽しさを伝え、いずれは日本代表に関わることを目指しています。