「人生を変えた出会い」恩師から学んだ指導者の道樋口さんがサッカーを始めたきっかけを教えてください。小学校5年生からサッカーを始めました。当時は何となく始めたものの、中学校で素晴らしい先生に出会い、全国大会に連れて行ってもらった経験が人生を大きく変えました。それからサッカーの魅力にのめり込むようになり、四日市中央工業高校(以下、四中工)に進学。当時の監督からはサッカーの本質や、自分で考え行動する重要性を学びました。選手としての全国準優勝をはじめ、高校3年間の濃密な経験が、今でも私の指導の基盤になっているんです。高校卒業後、日本代表候補として活動する経験もさせていただきました。当時のメンバーには後に日本サッカーを支える選手が多く、私にとっては大きな刺激となりました。1979年ワールドユース日本大会の候補から落選した経験も、悔しさと共に成長の糧となり、後の指導者としての視点を広げるきっかけとなっています。選手としてのご経験をもとに、指導者を志されたのですね。選手として活動する中で、恩師たちから学んだことを次世代に伝えたいという思いが強くなりました。通信教育で教員免許を取得し、高校の監督を務めるようになったのは、選手時代からの夢でもあったのでやる気に満ち溢れていましたね。教え子たちと共に見た夢とその実現選手と指導者とでは、また別の視点でサッカーを捉える必要がありそうです。指導者としての難しさは、選手一人ひとりの性格や能力に合わせて対応することです。ときには選手たちに厳しい決断を求めることもありますが、その結果が後に良い方向に進むとそれが幸せに感じる瞬間に。多くの教え子たちにも救われてきました。四中工は多くのプロ選手を輩出する高校サッカー界の名門でもあります。指導者として、教え子の選手たちに受けてきたものもお伺いできればと思います。教え子たちがワールドカップやJリーグで活躍する姿を見るたびに、指導者としての喜びを感じます。特に四中工からは、私が監督を務めた時代に坪井慶介(元浦和レッズ)や浅野拓磨(マジョルカ)といった選手がワールドカップに出場しました。教え子たちが私の想像を超える成果を挙げる姿には、常に驚かされます。またJリーグで活躍する谷口海斗(アルビレックス新潟)のように、高校時代はBチームにいた選手が成長してプロの舞台に立つ姿も。教え子たちの活躍は何よりの励みです。樋口さんの指導理念について教えてください。私は「自立」と「信頼」をキーワードに指導を行っています。選手たちが自分の目標を持ち、それを実現するために主体的に動く力を育てることが重要です。また、どのチームや監督の下でも活躍できる「信頼される選手」になることを目指しています。指導者として一方的に教えるのではなく、選手たちが自ら気づきを得られるような環境作りを心がけています。さらに、一貫して「選手が次のステージで活躍できる基礎を作る」ことも意識しています。プレー面だけでなく、メンタルや日常の習慣においても自立心を育てることが選手の成功につながると考えています。三重からJリーグへ、未来への挑戦現在は高校サッカーの指導からは離れ、三重県のサッカー界にご尽力されているようですね。現在はヴィアティン三重のトータルアドバイザーとして活動しています。また、三重県サッカー協会のFAコーチとして、育成年代の指導や指導者養成にも力を注いでいます。特に最近では小学生年代の巡回指導を行い、日本協会が推進する「発育発達段階」に応じた指導法を実践しています。最近は、これまで関わる機会が少なかった小学生年代の選手たちからの気づきも多いですよ。子どもたちの技術レベルが年々向上していることに驚かされます。その一方で、メンタルやフィジカル面の成長をどうサポートするかが重要だと感じています。自由な発想を伸ばしつつ、次のステージでの競技を見据えた育成を意識しています。最後に、樋口さんの将来的な目標を教えてください。一番の夢は三重県にJリーグができることです。そのために、これまでの経験を活かしながら育成や指導者養成に努めていきたいと思っています。また、指導の現場を通じて選手たちが成長し、世界で活躍する未来を支えられるよう尽力していきます。指導者は、選手と共に成長していく存在だと思います。一人ひとりの選手に向き合い、その可能性を引き出すことが重要です。私たちの役割は、未来のサッカー界を照らす選手を育てることです。