ソレント大学でサッカー学を学んだ理由怪我を重ねてしまい、高校2年生の夏にプレイヤーとしてサッカーを続けるのは無理だと思い、前橋育英を中退しました。今後のキャリアを考えた時に、特に他に知識もなかったので短絡的にコーチかな、と考えて目指す事にしました。日本でコーチを目指すならまずヨーロッパで勉強した方が色々と吸収できると思ったし、海外の大学に行く方がかっこいいなと直観的に思いました。行き当たりばったりでソレント大学に入り、分析をやろうと決めたので、戦略的に考えたというよりは、ワクワクする事を選んだら最終的にたどり着いたという感じです。プレーヤーの時にイタリアに行ったことがあったんですが、異文化交流をしたり、片言の英語でコミュニケーションを取るのが楽しかった思い出で、海外へ行く事への不安は無かったです。楽しみが勝っていました。コロナ禍で帰国、鹿児島ユナイテッドで通訳兼アシスタントコーチに大学がロックダウンしてしまい、帰国せざるを得ない状況になりました。本当はドイツでコーチの職を得られそうでしたが、それも白紙になってしまい、一旦帰国したものの、ちょうど日本はシーズン真っ只中。急にどこかに入るわけにも行かず、7か月近くフリーランスで活動しました。イギリス時代からやっていた個人の選手の分析の仕事を受けたり、並行してチームの分析もやっていました。翌年には鹿児島ユナイテッドからお話を貰えて加入する事になりました。当時の監督(アーサーパパス氏)とは以前から繋がりがあり、鹿児島に行くので通訳とコーチとして来て欲しいと誘ってもらいました。元々尊敬していた監督で、僕の最終目標も監督。側で通訳できるのはこれ以上ない環境だと思い、前向きに飛び込みました。僕は彼の人間性が本当に好きで、暇さえあればずっと勉強している人なんです。プレゼンの講義を受けていたり、ずっとパソコンで試合を観ていたり、常に学び続ける意欲に溢れている人で、逆に言うとそのくらいの熱意がないと監督は務まらないと感じています。海外の人が日本で監督をするのは、想像以上に大変だと思いますが、早く順応しようとする柔軟さと譲れないところをはっきりと主張する強さのバランスも素晴らしい人でした。長期的にチームがどうなっていくべきかを考え、監督通訳である僕にもしっかりと伝えてくれました。分析の観点でも様々な仕事を任せてもらい、時には求めるレベルに達していない事もあったと思いますが、それでもまずは任せ、今後どう改善していくかを一緒に考えてくれました。ある程度僕に裁量を持たせる事で責任感にも繋がり、毎日良い意味で試されているという感覚もあり、大きく成長する事ができました。スタッフにも成長機会を提供するという意味でも、広い視野を持っている監督の近くで働いた事は自分の大きな財産になっています。80%でも良いので時間内に仕事を終わらせる強く意識しているのは、80%の完成度でも良いのでなるべく時間内に仕事を終わらせるという事です。監督が求めているものをヒアリングして監督に寄り添ったアプローチで活動する事を常に考えています。監督が一番孤独で、重圧と闘っています。外から見ていると何もしていないように見えても、監督はチームの方向性を決定しその責任を全部負っているので頭の中には様々なプラン、ストーリーが組み立てられているんです。他の人に任せられる仕事は全部任せて、監督は意思決定にだけエネルギーを使うべきだと思います。監督がして欲しいと思っている事を察して、言われる前にできるようになる事を目指しています。80%でも良いので監督が欲しい情報をスッと差し出し、監督は本来割くべきところにエネルギーを割ける環境を提供できる分析官になりたいです。分析官として一番喜びを感じるのは、試合に勝った時です。映像を見て、編集をして、ミーティングの映像を作って、という作業をずっとやって1週間の最後にその集大成を多くのお客さんに見てもらえる仕事はなかなか無いと思います。短いサイクルで自分の仕事が多くの人の目に触れ、直にリアクションが返ってくる仕事、しかもそれが感動や明日への活力に繋がるという部分にやりがいを感じます。目標はヨーロッパで監督をすることずっと言い続けていますが、もう一度ヨーロッパに挑戦し、監督になりたいです。もうひとつ、日本のサッカーに貢献する事も目標です。自分がやってきた事、ヨーロッパで監督を目指していく過程が将来的に日本のサッカーを良くする事に繋がれば嬉しいです。今シーズンのモンテディオ山形としては、まず自分たちが本来いるべき場所に戻りたいという事で、スタッフも選手も誰一人諦める事なくまだまだ自分たちの力はこんなものじゃないと前を向いています。一試合一試合と言わず、一日一日を全力で頑張っていこうと思っています。