不安と共にスタートした指導者人生一回普通に社会人として就職したのですが、どうしてもサッカーの事が頭から離れませんでした。そんな中途半端な状態では仕事も手につかず成果も出ない。崖っぷちに立たされた時、やはり自分にはサッカーしかないと思い、指導者の道に飛び込む事にしました。大学生の時から指導自体はやっていましたが、プロの指導者になるというのは相当な覚悟が必要でした。プロの指導者になりたての頃は『サッカーが嫌いになってしまうのではないか』という事が不安でしたね。大好きなサッカーを仕事にするという事は収入面をどうしても念頭に入れて活動せざるを得ません。「好きな事を仕事にできて羨ましい」とよく言われますが、好きじゃない事を仕事にしている方がよっぽど楽だと思います。幸い、周りの人の温かい協力や助けによって自然と不安も解消され、やってきた事が形になって自信がついてきたという感じです。キャプテン翼と妻の支え様々な指導者に出会いましたが、僕にとってバイブルは今も『キャプテン翼』です。作中でロベルト本郷が記した “ロベルトノート” が出てくるのですが、そのノートの52ページで「翼にも、サッカーをやり続けるならば、誰よりもサッカーの楽しさを愛してほしい。」という一文が出てきます。僕はこの部分が大好きなんですが、「サッカーの楽しさって何だろう?」と仲間と共に考え続ける事が僕の根幹にあると思います。元選手である妻にも支えられてきました。家族のために指導者を辞め、普通に働こうと思った事もあったんですが「パパ、サッカー辞めちゃだめだよ」と背中を押してもらいました。妻の存在なくして今の自分はあり得ないです。自らが経験したものを惜しみなく選手に還元するカテゴリー問わずサッカーを楽しむというのは大前提ですが、指導の中で拘っているのは「教える」ではなく「気づかせる」事です。答えを教えてしまうのは簡単ですが、じっくりと我慢の時間を使って選手自身が気づくのを待ちます。上手くいかない時にはアプローチを変えて再度我慢する。自分が持っている知識や経験は惜しみなくアウトプットするつもりですが、選手のキャパやレベルに応じて調整しながら提供する事も指導の中で心掛けている点です。たくさんの選手を見てきてどんなレベルの選手にとっても大切だと感じるのは、サッカー以外の場面での指導者の関わりです。ひとりの人生の先輩として彼らが困っている時に頼りたいと思われる存在であるよう、サッカー以外の面からも寄り添える自分でいたいと思っています。選手が笑顔で挨拶をしてくれる、家族が幸せそうにしてくれる、一見サッカーとは直接関係なさそうですが、そういった瞬間に幸せを感じます。選手がサッカーの道を極める選択をしてくれるのはもちろん嬉しい事ですが、そうでなくても周りの人たちが幸せそうにしているのが一番です。僕は今までサッカーから色々なものを与えられてきました。今後は携わっている選手やスタッフに返す番だと思っています。『毎日元気にピッチへ』日々の積み重ねが、やがて大きなものに日々考えているのは『明日も元気にピッチに立つ』という事です。今日あった事を振り返り、考え、明日もまた皆と挨拶をしてピッチに向かう。単純な事ですがその繰り返しの結果、自分は幸せを感じる事ができると思います。高知県で女子サッカーの指導者をしていますが、やはり盛り上がりが足りないというのが現状です。大方高校女子サッカー部も選手数が11名に満たない状況。『地域みらい留学制度や『身元引受人』といったものが高知県では採用されており、県外からも生徒を呼び込む活動をしています。必ずしもレベルの高い選手を求めている訳ではなく、強豪校ではプレーを続けられそうにない選手や、金銭的な問題で競技を諦めそうになっている選手も積極的に募っています。行政からのバックアップもあり、寄宿舎に安く入れる制度もあるので、ぜひ多くの選手に来ていただきたいと思っています。大方高校には自転車で10分程度のところに西南大規模公園という施設があり、そこの人工芝のピッチで練習を行っています。この環境を活かし、ゆくゆくはプロの舞台でプレーする選手を輩出できると嬉しいです。