『サッカーと生きる』事を実現するために指導者に選手時代に良い指導者に出会えて、指導者に憧れはありましたが、収入面含めて厳しい世界なので、小中学校の頃は「俺はサッカーコーチにはならない」と言っていました。それでも今指導者をやっているのは、人生のテーマが『サッカーと生きる』だからだと思います。指導者としてサッカーに関わり続ける事が、何か価値を生み出す事に繋がるのではないかなと感じています。自分を指導者の道へと導いてくれた出会い小学生の頃、将来指導者にはならないと思いながらも、コーチの姿を見て彼らのサッカー愛をすごく感じていました。特に現在前橋育英高校でGKコーチをしている方が家族全員でファンになってしまうくらい人格者で、影響を受けています。『言い訳は進歩の敵』という言葉が印象的で、今でも自分が言い訳していると感じている時によく思い出します。幼い頃にこういった指導者に出会って『こういう大人、かっこいいな』と感じた事がきっかけになって今も自分はサッカーに関わっているんだと思います。23歳の頃、ジブラルタルの指導者から言われた『これからボールを蹴って稼げる金額を考えてみろ。それなら今ある人脈を使って、指導論を学んで日本のサッカー界で勝負した方が良いだろう』という言葉も強烈でした。要するに「選手を辞めて指導者をやれ」という事なんですが、当時将来どうするか模索中だった自分にとって指導者として生きていく大きなきっかけになりました。厳密に言うと今も選手引退宣言をした訳ではありませんが、一回指導者として腹を括って命がけで取り組んでみようと、決意するに至りました。自分の経験を押し付けない、最適解はそれぞれ違う。指導者に限らず、コミュニケーションが一番大切だと思うので、あくまで言語はツールという認識です。ひとりひとり違うという事を大前提に、相手をコントロールする事を目的に会話しないように気を付けています。試合中も、ピッチに立っている11人以外に、悔しい思いをしている控えの選手がいるので、相手の気持ちを想像しつつも、チームとして勝利を目指しているという部分はぶれないようにしています。カンボジアにいても日本にいても大切にしている事は変わらないです。選手と年齢が近い事、まだ正式には引退していない事もあり、自分の経験に基づいた指導が僕は好きではありません。『自分ならこう守るのに』と思う事はありますが、選手への還元の仕方は原理原則や、技術の話をメインにするように経験則では指導しないように心がけています。一方、想いが伝わるのは経験に沿った話なのかなとも感じており、その塩梅が難しいです。まだ指導者1年目なので、試行錯誤の最中です。『サッカーと共に生きる』をいつまでも。選手のスキルが上がったなど、日々小さな喜びはあるのですが、「指導者としての喜びは何なのか?」という問いに明確な答えが出るのは、まず1シーズンを終えた時なのかなと思います。現時点では、『サッカーと生きる』を実現できている事にまずは満足しなければならないですね。今指導しているチームでは、今シーズンはまだ一勝もしていません。指導者として自分が勝利の瞬間に立ち会った時、選手時代に感じた強烈な興奮があるのか、まだ分かりません。勝つか負けるか、毎週ヒリヒリする瞬間が訪れる今の環境が今はとても楽しいので、まずは一勝を勝ち取りたいです。明確なのは、今後Jクラブでトライしてみたいという事です。そのために人間性含め、指導者としてのスキルを高めます。今指導している選手と共に僕自身もサッカーを楽しいと思いながら日々生きていく事で『サッカーと生きる』も体現できると思います。10代の頃はワールドカップに出たい、という尖った目標もありましたが、アラサーともなると悩みながら自分の追い求めるサッカーに近づいていければ、と考えています。