16歳から指導者の道へ、そこで感じた困難-古賀さんが指導者を志した経緯を教えていただけますか?かなり大きな手術をして、その後遺症で心臓も悪かったため、漠然とプレーヤーを続けるのは難しいだろうと、小さい頃から感じていました。実際に小学2年生の頃に親からもハッキリとプレーヤーは難しいと言われて、その頃から監督やコーチになるしかないかな、と思っていました。高校生の時、医者に相談せずに部活に入ってしまったんですが、「今すぐ辞めないと命の保証はできない」と言われました。顧問の先生に相談したところ、「選手としては早く引退するかもしれないけれど、指導者としては早くスタートできる」と前向きな言葉をかけてもらい、部活のメンバー全員に説明をして指導者としてのキャリアを歩み始めました。-高校時代から指導者としてのキャリアを歩む中で、当たった障壁などはあったのですか?同級生や先輩を指導するのは簡単ではなく、最初は先輩を怒らせてしまう事も何度もありました。その後チームが兵庫県の中では強い公立高校になり、結果がついてきた事と、先輩同級生らの理解があった事、その両方が後押しとなって指導者としてチームに順応していったように感じます。エコロジカル・アプローチを取り入れた指導-ご自身の指導者人生で、特に影響を受けた方はいらっしゃいますか?かなり多くの指導者の影響を受けているので特定の誰かに絞る事はできませんが、福岡でエリア伊都のコーチをしている有坂哲さんは大学院生の時からお世話になっていて、自分が指導の軸に掲げているエコロジカル・アプローチという理論繋がりという意味で、特に大きな影響を受けているかもしれません。エコロジカル・アプローチについて少し説明しておきます。一言で表現するのは難しいのですが、指導者が様々な制約を設けながらトレーニングを操作していくと、その制約の中で選手自身が探索しながら上達していくという事です。-なるほど、とても興味深い取り組みですね。さらに詳しく、どういった制約を設けるのか教えていただけますか?例えば、ストリートサッカーのようにデコボコのグラウンドやビーチ(環境制約)でプレーしたり、年齢も体格も異なる人(人的制約)とサッカーをする事で、選手は制約に適応していき、結果良い選手が出てきます。近年は研究結果からも示されていて、それを最近エコロジカル・アプローチという本にまとめた植田文也さんが大学院の同級生なんです。彼とも議論を重ねながら、現在岡山県で指導をしています。具体的には、なでしこひろばとキッズU10でエコロジカル・アプローチを採用したトレーニングを実施しています。積極的な取り組みの成果で、岡山県でも少しずつ浸透していっているという手応えを感じています。練習試合に行った際には行く先々で相手チームにトレーニング方法を紹介していて、興味を持っていただける機会も増えてきて嬉しく思っています。子供たちの世界観を大切にしたい-指導される中で、大切にされている想いについても教えてください。昔から子供たち自身が持っている世界観を壊したくないと思っています。言語偏重な指導をしてしまう事もありますが、できる限り彼らが持つ感性を育む指導をしたいです。エコロジカル・アプローチも流行りに乗って取り入れていると思われると残念なんですが、大学院生の頃から10年かけて植田さんとディスカッションを重ねてきています。その中でやはり既定路線のコーチングの方が良いのでは?と考えた時期もありました。ただ、植田さんがポルトガルでエコロジカル・アプローチに触れた話を聞いて僕はとてもしっくりきたんです。僕自身が病気の事で制約の多い人生を送ってきたから「制約」という言葉にピンと来たのかもしれません。「制約の中で旅をする」という言葉がありますが、旅の中で色んな物を得た経験があるので、子供たちにもその感覚を味わって欲しいと思っています。指導者としての強みと楽しみ-古賀さんの強みは、ヨーロッパでの経験が大きく関係しているのでしょうか?僕がスペインから帰国したのが2008年、以降ヨーロッパから色んな指導者が帰国したり、SNSを通じて、表面的な部分ではヨーロッパがやっている事はそれなりに情報を得られるようになりました。情報の取捨選択をうまくしていくのが次のフェーズだと思いますが、僕は今までの経験を通じてその塩梅がうまくいっているんじゃないかと思っていて、今もトライしています。-現在の活動の中、指導者冥利に尽きる瞬間はどんな時でしょうか?指導者としての楽しみを一番感じるのは、自分の言葉で子供たちと対峙している時です。今までマネージャーや分析等様々な役割を経験してきましたが、ダイレクトに反応が返ってくる感覚はやはり格別です。自分が考えたり組み立てたものを子供たちに伝える立場に今はやりがいを感じています。-エコロジカル・アプローチによる指導の手応えを感じていますか?エコロジカル・アプローチのトレーニングはまだ確立されておらず、僕もまだ試行錯誤中ですが、色んなボールを使って練習を始めてから間違いなく上手くなっている実感はあります。おにぎりボールやセパタクローのボールを使って初めは全然うまく行かなかったんですが、1か月近く我慢して練習すると、あるタイミングでふっと上達したんです。選手からも「絶対この練習の成果だ」という言葉を貰い、嬉しかったです。岡山、中国地方のサッカーを盛り上げていきたい-最後に、ご自身の夢や目標を教えてください。今までも色々な夢はありましたが、年齢を経る毎に様々なリスクが上がってきて身体も思うように動かなくなってきています。今後も制約が発生するんだろうな、という不安もありますが、まずはそんな僕でもオファーしたいと思ってもらえる事が目標です。極論、座って喋っているだけでも良いので来てください、と言われる人材になりたいです。キャリアに関してはあまり具体化せず、今できる事を全力でやっています。ガレオ玉島での活動は実験的な部分も多いですが、指導した子供たちがちょっとでも上のレベルでプレーする事に繋がって欲しいと願っています。隣の兵庫県出身なのに岡山は来るまで知らない事ばかりでした。だからこそ可能性を感じているし、実際暮らしてみると、とても良いところです。サッカーの育成やエコロジカル・アプローチなどを通じて少しでも岡山県の認知度アップに貢献できたら、と思っています。