指導者になった経緯中学を卒業してブラジルに留学していた時に少年サッカースクールでアルバイトをしていました。3年半後怪我で帰国する事になり、今後の事を考えていたところ現在のガンバ大阪、当時松下電器サッカー部で強化部長をされていた浜頭さんにお声がけ頂き、ジュニアから小学生年代を指導するようになりました。その時、選手で在籍していたのが大黒将司(現ガンバ大阪ユースストライカーコーチです。彼が小学年生の時から2年間指導させて頂きました。選手の個性を尊重し、伸ばしていく『個人の個性を一番大切にしながら人間教育していく』というサッカー指導者としての伝統的な指導方法には共感しています。キックが上手い選手、足が速い選手、ヘディングが上手い選手、色々いますが全部がパーフェクトな選手は海外にもほとんどいません。「基礎技術を高めたうえで、得意な部分を伸ばし、プレーを通じてチームに還元し、勝利に繋げていく事ができる選手が本当に良い選手なんだ」というのは常々伝えるようにしています。これまで多くの選手を見てきましたが、期待されながらも消えていく選手というのはやはり自分の事しか考えていない部分があります。自分の事を支えている仲間や背景を考えたうえで行動していく社会性を身に着ける事が、選手としての成長にも繋がります。もちろんプロサッカー選手になる事は最終目標かもしれませんが、それ以前に社会に出た時にリーダーシップを発揮できるような人間性の育成を指導者としては目指していきたいです。実際に活躍している選手を見るとオープンマインドで謙虚な姿勢を崩しません。自分は何ができていて何ができていないのか、客観視する事ができる選手はどんどん成長していく印象があります。指導の軸はどの年代でも共通高校生だろうと大学生だろうと、彼らが自分の足で立つ/自分を律するという事は重要だと思っています。自分で目的意識を持ってどんどんチャレンジして失敗も成功も経験していく中で自立(自律)する能力が備わってくると感じています。今指導している部活は80名くらい所属しているのですが、毎日25~30人を目安に喋ろうと意識しています。現在指導しているのは日の丸を背負っているような選手、一流と言われるような選手はいません。高校に入ってからサッカーを始めた子もいるのですが、それぞれ努力している事をチーム全体でシェアする事を意識すると、不思議と辞めてしまう子はいないですね。努力に対するご褒美として、選手権でラスト10分であっても初心者の子を出してあげたいと思います。寮生活を通じて育まれる信頼関係僕も選手と一緒に寮で生活していますが、なるべく部屋には行かないようにしていて食堂で喋ったり、裸の付き合いでお風呂に一緒に入ったりする事が多いです。選手から見たら監督というより、良いおっちゃんという感じかもしれません。選手同士も学年を超えて本当に仲が良く、ご飯を食べに出かけたり、映画を観に行ったりしているようです。変な上下関係はなく、メリハリを持ちながら社会性を身に着けられる環境だと思います。昔ながらの上がガツンと威圧的な態度で接するのが僕は嫌いで、着任当初はそんな雰囲気もあったんですが、6年かけて徐々に何故挨拶が必要なのか、何故礼儀が大切なのか、という事を選手自身が自分の頭で考えるようになってきていると感じます。寮では携帯の使用を制限しているのですが、部屋に引きこもって携帯ばかり触っているよりも『自分で考える』、『相手の事を見る』という事を大切にして欲しいという思いがあります。以前大学で指導していた時もそうだったのですが、人と人が共存していく事、サッカーは人と人とで行うスポーツである事、をもっと意識してもらいたいです。教え子が社会で頑張っている姿を見るのが嬉しい当時は僕が言っている事に反発していた選手でも、彼らが結婚して家庭を持った時に、「なるほど、そういう事だったのか」と時を経て思ってもらえれば良いと思っています。卒業後、サッカーで活躍する姿が見れるのはもちろん一番嬉しいですが、それ以外にも社会に出て「こんな風に頑張っています」という連絡を貰って、様々な分野で輝いている教え子の姿を見るのが指導者冥利に尽きる瞬間だと思います。秋田という街は少子化が大きな課題ですが、今後サッカーを通じて盛り上げていきたい、還元していきたいという気持ちがあります。あとは、常にチャレンジャーでいきたいですね。指導者として秋田でこのまま明桜高校の監督をやっていくのか、他の高校やJリーグのクラブに行くのか、あるいは海外に行くのか。これからどこで、どのように指導するかはわからないですが、挑戦する気持ちや向上心、選手のために動き続ける熱量を持ってこれからも指導に携わっていきたいと思っています。