森ノ宮医療大学を卒業後、挑戦の場を海外に。3年生の半ば頃までは開業しようかなと思っていて、海外に行くなんて全く考えていませんでした。第一志望が看護学部だった事もあり、周りと比べて進路選択は遅かったと思います。4年生になる前の春休み、高校の同級生が日本での安定した職の内定を辞退し、パラオに行くという話を聞きました。自分は経済的に安定する事を重視していたので大変驚きましたが、自分も感化されてそこで初めてパスポートを取得し、実際に海外に行ってみました。それが現在のキャリアのきっかけになっています。大学4年生の時には海外に行きたいという夢を叶えるために、実際に海外に出た人、海外に出たいと思っている人に絞って会うようにしていました。そんな中、先輩に言われたのが「皆自分の未来を予想しようとするけれど、意外に事は簡単。自分の将来がどうなっているか知るには、先輩の姿を見れば良い」という事でした。学校から提供された事をやって、卒業してどうなっているか。先輩の姿を見た時に自分が望む将来像と違うなら、勇気を出して人と違う事をやるしかないんだと思いました。これは学生時代から現在に至るまで意識している事です。トレーナーとして監督のために働くトレーナーとして決めているのは、『監督のために働く』という事です。負けが続いたり、求めている結果が出ないと一番最初に監督が首を切られます。特にヨーロッパでは、選手の怪我さえも監督の責任になってしまう。治療や復帰が遅いといった全ての責任を監督が負うのであれば、自分は監督のためにできる事を選手を通じて提供し続けようと思っています。トレーナー1年目は、その場でトレーナーとしての手当ができていれば良いと思っていて、作業のようになってしまっていました。人として選手とコミュニケーションを取る事ができていなかった。今はドイツ語でもちろん母国語よりハードルは高いですが、ちょっとした健康状態の話や、オフの時の雑談など、選手とコミュニケーションを取る事が何よりも大切だと感じています。『恥ずかしい部分も含めてさらけ出せ合える信頼関係を築く事』が自分が考えるコミュニケーションの定義です。日本の現場では「選手とトレーナーは友達にはなるな」という事が言われていますが、海外ではかなり選手との距離は近いと感じています。体調の些細な変化を共有する事でストレス度合など、気づける事も多いです。世界レベルを肌で感じ、新たな夢が芽生えてきた大きな試合に勝った時はもちろんトレーナーとして喜びを感じますが、監督や選手の悩みに寄り添って解決に向けて力になれた時、裏方としてやりがいを感じます。チャンピオンズリーグの舞台にも立たせてもらいましたが、2つの事を学びました。まず、世界トップレベルとの差、ポジティブに言うと世界レベルまでの距離が分かった事です。もうひとつは、選手、監督、運営、関わる全ての人から欧州で女子サッカーをする意義を感じた事です。今後の目標としては、ブンデスリーガに挑戦したいです。日本にいる時は、ドイツに行く方法がさっぱりわからず、エベレストぐらい高い目標に見えました。ザンクト・ペルテンに来てドイツに行くためにやる事も明確になり、感覚的にはスカイツリーくらいまで近いものになりました。最後は運もありますが、まずは自分がやるべき事を愚直にやるしかないです。ブンデスリーグを目指す理由は、今いるのと同じドイツ語圏であるという事。更に、今いるチームが男女共にドイツ一部のヴォルフスブルグと業務提携している実績があり、身近な存在だからです。正直ドイツ語の能力が仕事をするうえで圧倒的に足りていないので、何とかスキルアップして夢を叶えたいと思います。