指導者への道は急に現れた今の勤務先の八幡浜工業高等学校を卒業した後、大分トリニティ(現在の大分トリニータ)に入団してプロとしてのキャリアが始まりました。次年度はなかなか勝負することができずJ2を断念し、地元の愛媛に戻って四国リーグからJ2まで、選手として6年間関わりました。今は母校の八幡浜工業高等学校のサッカー部の監督をしております。指導者の道を選んだきっかけは、21歳の頃に大分から愛媛に戻った頃、教員を目指しながらサッカーするのがいいんじゃないのと声をかけていただいたことです。もともとは教員になるつもりはありませんでした。2006年に愛媛FCがJ2に昇格すると、選手か指導者か選択を迫られて、当時はまだ若かったので選手として上を目指していきたい思いが強かったですけど、サッカーは何歳になってもどのレベルでも楽しめるし「指導者を目指そう」と決めました。たくさんの指導者に関わっていただいたお陰で今の自分があると思っています。何人か名前を挙げるなら、そのうち1人は僕にサッカーを始めるきっかけを与えてくれた、地元の三好先生です。砂場で遊んでいた幼い僕に声をかけてくれた三好先生に出会えて、僕はサッカーを好きになることができました。僕も指導者として、サッカーを好きになるきっかけを提供できる存在でありたいと思ってます。置かれた環境でボールを追い続けよ指導者として最初の仕事と並行して、愛媛FCの選手としても活動していました。土日は選手として試合に出て、平日の夜に指導をしていたんです。練習中に自分が言われたことを指導者として生徒に言うこともありましたね。初年度の監督の兵頭(龍哉)先生も高校で教えながら活動されていました。サッカーをしている生徒もそうでない生徒も、学生にとっては学校生活が一番。まずそこに向き合ってほしいと思ってます。サッカー部に所属している子たちはサッカー一筋な子が多いです。優れた設備を揃えている都会のチームと同じような環境はないんですけど、自分が置かれた環境を言い訳にせず世界を目指すということをベースに、どこにいようと自分達にできることを最大限しようと言い聞かせています。田舎の子たちが夢を見られる環境を与えたい、これが僕の軸です。なので、毎年新しい戦術を勉強しながら、選手たちと一緒に試行錯誤して技術をつけている状況です。Footballcoachの取材を受けるきっかけをいただいた河岸貴さんに、「八幡浜の方に良かったら来てください」とお願いしたら快く会いに来てくれました。河岸さんからは「BoS理論」というドイツの理論を教えていただいて、僕のサッカーに対する概念がガラリと変わったんです。自分が教えているチームのスタイルがその理論にすごくマッチしていました。生徒を見ていると、高校1年生の頃と比べて上級生になればなるほどサッカーへの理解も深まって、学校生活だけでなく私生活にも自信を持てるようになっているのが感じられます。校外でもブレずに種を蒔き続ける指導歴は今年(2023年)で23年目です。自分の教え子たちの中には、僕自身が経験したことのない高いレベルのサッカーをしている子もいます。ベガルタの松下や奈良クラブの岡田であったり。そんな教え子たちを見ていると、正直なところ羨ましいなという思いもあります。それと同じくらい、さっき言ったことの繰り返しになりますがサッカーが好きな人を増やしたいという思いもあるんです。僕は今でも選手としてプレーしますけど、教え子とはいつも真剣勝負。高校の教員としての生活を振り返ってみた時、良い授業をして生徒の学力向上に貢献できていたかは自信がないですけど、サッカーを通じて得たものを授業に活かすことはできたと思っていて。チームスポーツのサッカーで鍛えられるコミュニケーション力は、生徒との信頼関係を作ることにも繋がりました。サッカー部員もそれ以外の子たちも僕を見かけると声を掛けてくれるのはありがたいですし、サッカーを通じてご縁があって良かったなと思います。田舎の子供たちももっと夢を見ていいじゃない、僕はそういう軸を持って指導しています。子供たちには、自分の目標を見つけて、社会に出てからもサッカーを続けようが続けまいが羽ばたいてほしいです。地元では高校生だけでなく小学生や中学生にもさまざまな活動で関わっていて、みんながロールモデルみたいなものを求めているかはわかりませんが、僕らは「いろんな生き方を見せよう」と生徒と話しています。誰かにとって目標となる存在、夢になるかもしれません。これからも田舎の子供たちが夢を追い続けられるよう、僕も努力していきたいですね。