痛感したプロの道への厳しさと恩師との出会い中学生の時、セレッソ大阪ジュニアユースでサッカーをプレーしていました。当時、ガンバ大阪ジュニアユースとの試合で負けてしまったんですがめちゃくちゃ上手い選手がいて、「あの選手が世代別日本代表?」とチームメイトに聞いたところ「あいつじゃない」って言われました。そのときに、「こんなに上手い選手でも代表には入れないんだったら、自分は無理だな。」って感じてサッカー選手を志す気持ちが途絶えました。それが後に日本代表にも選ばれてW杯にも出場された大黒将志さん。大黒さんに心を折られた感じですね。(笑)そこから高校生になってもサッカーを続けました。サッカー部の監督をされたのが強豪 滝川第二高校で選手として全国大会にも出られたことのある方で。その方の目指すサッカーが選手としてとても楽しかった印象が強く、その頃あたりから徐々に指導者の道というものが見え始めていきました。指導者としての振る舞い方、チームビルディング、選手とのコミュニケーションの取り方はその恩師から学んだことで、今も活きています。特に、”チームが勝った時よりも負けたときにかける言葉” を大切にされている方でしたので、この方との出会いがなかったら今自分は指導者をしていなかったのかもしれませんね。ロンドンに住所がある、日本の街クラブ縁あってロンドンのLondon Japanese Junior FC (LJJ)に指導者として入ることになったんですけど、親御さんのお仕事の都合でロンドンに来る子たちだったり、現地に住むハーフの子だったり、さまざまな理由があってロンドンで暮らしている子たちばかりです。そのような子たちがサッカーを楽しめるクラブとして活動しています。LJJのような選手もスタッフも日本人やごく少数の日本人ハーフだけで構成されているクラブで、現地のリーグに参戦しているチームは、世界的にみてもごく稀だと思います。僕自身 ”ロンドンにただ住所があるだけの、日本の街クラブ” という認識でいます。ここに面白さを感じているのが、今もロンドンで活動を続ける一つの理由ですね。このような特殊なクラブに来て感じたこととして、日本から来た経験者の子の方がイングランドのサッカーに適応するのに時間がかかる印象です。世界でも激しいと言われるプレミアリーグのある国ですから、当然ジュニア年代からもその激しさが存在するんです。日本でサッカーしてた子たちからすると、体格差や球際の部分で初めは少し苦労します。日本ではファールを取られるプレーが、こっちでは流されたりしますからね。ただ、私もロンドンで長く指導している上で選手たちに感じることとして、 “感情が持つエネルギーをプレーに落とし込む” ことは重要なんじゃないかなと思います。あくまでのクリーンというのを前提に、感情のこもったプレーを出していける選手はどこでサッカーしたとしても、自分の持ち味を存分に出していけますね。サッカーの母国で感じた、"自己表現の豊かさ"イングランド人は当然のこと、イギリスの住む子たちは、自己主張をしっかりするのが当たり前になっています。教育システムにもよると思いますが、大人や指導者もしっかり子どもたちの声に耳を傾ける文化です。なので、指導者と選手の関係性がおおよそ対等なんですよ。その中で、お互いがお互いの感情をぶつけながら、自分を出していくことを認められる環境があるというのもいい土台になっています。私自身も自分のチームでの指導は、常に傾聴意識を持っています。ときにはアツくなっている指導者を見かけることもありますが、「それはそれ、これはこれ。」と後腐れなく引きづらない人が多いのもイギリス人の特徴です。うちのチームにはこっちの日本人学校に行っている子もいれば現地の学校に通っている子もいるんですが、自己主張の強さは現地校に行ってる子たちの方が強いです。ですが、日本人学校でも国のスタイルに基づいた教育をしているので、自分達の言いたいことを表現できる子が日本よりも多いと思いますね。日本からコーチ留学としてロンドンに来た方たちも「イギリスで育った子たちは、日本で育った子たちよりも言いたいことをはっきり言いますね」って驚いています。まだ指導歴が浅いコーチがトレーニングを担当した時、「この選手、このトレーニングに参加させる意味あるんかな」と思っていた矢先に「コーチ、僕この練習に参加する意味ありますか?」ってうちの小学生の選手が気づいて話していたんです。そうそう、それ言っていいよって思いながら見てました。(笑)ロンドンでの日々を、人生のお守りに。子どもたちがチャレンジし続ける姿勢の中で、何度も諦めずに立ち上がって壁を乗り越えた瞬間を近くで見ると、やっぱり指導者していてよかったなと感じますね。その子たちがうちのチームにずっといるわけではないので、離れてからもふとしたときに連絡をくれたり、一緒にご飯を食べに行ったり。そういった関係を続けていけることが幸せです。サッカーから離れたとしても、うちのチームでの思い出や僕からの一言など何か一つでもいいので、人生におけるお守りみたいな感じになっていたら、それこそ指導者冥利につきますね。こういった特殊なクラブで選手の入れ替わりも激しいですが、このチームを離れても選手たちの故郷になるようなクラブであり続けたいなと思います。僕自身の夢としては、「関わる人たちが幸せになるようなクラブ」を日本で持ちたいなと考えています。僕のような経験を持っている人たちって少ないと思うんですけど、この経験を活かして “自分のやりたいような指導を表現できて、指導者自身や周りの方も幸せになれる” 環境を作りたいですね。根底を知り、排除するために必要なものを考える。 暴力をこの世からなくすために我々がすべきこと世界の常識、セーフガーディング。恐れてプレーしても上達しない、イキイキとプレーする選手を増やす環境づくり。