サッカー一筋に生きてきた 反骨心は今も胸に-成田さんが指導者を志されたきっかけを教えてください初めて指導者を経験したのは大学時代です。愛知県のサッカースクールで幼稚園生から中学校2年生を指導して、現役時代にも愛知県のサッカースクールでコーチをさせてもらいました。いつかまたやってみたいなと思っていたらご縁をいただいて、今もチャレンジをしています。現役を引退して指導者の道に進もうと決めたとき、正直なところ、気持ちをすぐに切り替えることはできませんでした。4歳からサッカーを始めて、9歳にはプロになりたいと思って練習に打ち込んできたので、プロになれなかったことへの反骨心みたいなものが残っていたんです。それを拭うためには、同じサッカーという土俵でプロのプレーヤーとは違う立場で結果を出したいという気持ちが徐々にわいてきました。学校でサッカーを指導するきっかけは、学校の先生たちがかなり疲弊して部活動が成り立っていないという現状を知ったことでした。もともと教育現場に興味があって、現役を引退してから関わりたいという思いが強くなっていたんです。私の経験を生かして教育業界に貢献し、部活動を通して学校教育の現場を自分の目で見てみようと思いました。私は教員免許を持っていないので外部指導員という立場で関わっています。軸は「サッカーを教えない」-指導者として大切にしている軸についても伺いたいです。いま教えている子たちは、Jリーグのアカデミーの選手でもないし、街クラブの強豪チームとは違って、初心者の子もいれば友達がやってるから始めましたという子もいます。サッカーを続けている動機もバラバラです。ですから、技術的な指導が求められていた現役時代の指導とは違って、今はサッカーというスポーツを通して人間的に成長してもらいたいという思いが強いです。ある意味でサッカーは教えてないっていう感覚がありますね。この軸は、人生そのものの原動力になっている、お話になったある監督の言葉が影響しています。これまでお世話になった指導者のみなさんはどなたも本当に素敵な方でした。一人を選ぶのは難しいですけど、ユース高校年代の時に監督をしていただいたこの方の言葉はずっと頭の片隅にあります。「社会に出たら理不尽なことや矛盾ばかりで思い通りにいくことの方が少ない」と。当時の僕にはその意味が理解できなかったんですけど、社会に出てもスポーツの世界でも通ずる言葉だなと今となっては心にすごく響きます。サッカーという競技は相手ありきのスポーツ。どれだけ自分の技術を磨いても一緒に戦う仲間や対戦相手がいないと成立しない、それに自分たちの思い通りにいくことは少ないです。 さっき紹介した監督の言葉はスポーツにも社会にも通ずる話でしたけど、私もサッカーが自分を成長させてくれたと実感しています。胸を打たれた男子中学生の行動-指導者冥利を感じる瞬間や、それにまつわるエピソードはございますか?一指導者として、1人でも多くの生徒たちにはスポーツって素晴らしいとかサッカーって本当に楽しいなっていう気持ちを味わってほしいです。この前、指導者をしていて良かったと感じる出来事がありました。公立中学校のある男子学生が僕のところに来てこう言いました。「実は僕、去年までは部活をやめようと思ったんです。でも成田さんが教えに来てくれてからサッカーが楽しいんです。リフティングは2回しかできなかったのに18回もできるようになりました!」と。指導者としての存在意義を感じたこの言葉は僕のエネルギーにもなって、本当に一瞬でしたけど胸にグッとくる熱いものがありました。15歳くらいの子からそんな言葉が出てきたことに驚きもしたんです。ツンケンして大人と喋りたくなかったり自分の世界に閉じこもりがちな子もいる年代だと思うんですけど、素直な感情をぶつけてくれたのが嬉しかったですね。-成田さんのこれからの夢や目標を教えてください9歳からプロサッカー選手を目指して24歳の頃に引退を決めて諦めましたけど、正直なところそれを超えた夢がまだ見つかっていないのが現状です。やはり自分を育ててもらった環境はJリーグのアカデミーだと思うので、ゆくゆくはそのようなチームで指導することが出来れば幸せです。これからも反骨心をエネルギーに変えて、様々なチャレンジをしていきたいと考えています。