指導者になるためにプロの世界に挑戦子どもの頃はサッカー選手を目指していましたが、次第に現実が見えてきたというか、諦めていました。当時は高校選手権に出てスカウトが来るというルートしかプロへの道はないと思い込んでいたので、全国を目指せるようなレベルではない高校に入学した段階でプロは厳しいと悟りました。高校卒業後は社会人になりましたが、横浜市でブラジルのストリートサッカーの延長のようなスクールを運営している方と出会い、再びサッカーの世界に引き戻されます。練習後、スタッフ達と飲みに行くとブラジルやウルグアイ、アルゼンチンといった海外の話をとても面白そうに話していて、こんな風になりたいと考えるようになりました。自分でサッカースクールを持ちたいと思った時に、欠けているのはキャリアでした。どこでも良いから一度プロになってサッカーでお金を稼ぐ経験をしてみようと決意し、タイに向かいました。子供の自由な発想でサッカーを楽しむ環境を大切にしたい自分が見てきた日本の少年団は勝利至上主義のところが多かったです。当時は野球出身のお父さんがコーチをやっているところも多く、ノリがサッカーと違う印象を受けました。自由な発想がなく、ミスをすると叱り飛ばす姿が見られました。子ども達が上手くならないのは指導者側の責任でもあるのに、サッカーを楽しむ環境が整っていませんでした。自分のスクールにはそういった環境からはみ出した子ども達が来ていました。スキルもピンからキリまで様々。幅広い子ども達と接する中で、ただ彼らにサッカーを好きになってもらおうという想いが強くなっていきました。もちろん競技スポーツなので勝ったら楽しいですが、勝たなきゃ楽しくないという悪循環は作りたくなかった。競技をやっている人が聞いたら語弊があるかもしれませんが、野球、バレーボール、バスケットボールの並びの中にサッカーがあるというよりは鬼ごっこ、かくれんぼの並びにサッカーがあるイメージです。子どもの頃のサッカーはあくまで遊びの延長なので仮に負けたとしても翌日には切り替えてまたプレーして欲しいです。ある程度大きくなって自分でプロを目指すと決めたらトレーニングをすれば十分です。大好きなサッカーを仕事に。スクール運営をする時に心がけている事は...スクールを運営する僕らの仕事は、明らかに才能がある選手の邪魔をしない事、運動が苦手な選手にはとにかく楽しんでもらう事だと意識しています。上手い選手は放っておいても勝手に上達していくものです。彼らには褒める声掛けはしますが、必要以上の干渉は不要。一方でうちのスクールにもいるんですが、運動が得意じゃない選手についてはまず「よくぞ来てくれた!」という気持ちで接します。とにかくサッカーを楽しんでくれればそれで良い、プリンの一番黒くて甘い部分だけを食べて欲しいという気持ちで教えています。僕自身、学生時代のように大好きなサッカーを今も続けていられる事が幸せです。現場に行く時も「教えるぞ」というよりは、今日もあそこにサッカーをやりに行くという気持ちで向かっています。障害を持つ人も活躍できるクラブを作るためにきっかけは指導しているろう学校の子ども達がプロになりたいと相談してきてくれた事でした。受け皿を作るという意味で2019年にプロフットサルクラブの経営権を買い取り、2~5名程耳が聞こえない選手と契約しています。クラブ運営の中で意識している事は必要以上に特別扱いをしない事です。声で伝わらない指示をプレー中にどうやって伝えるか、どうやって戦術を伝えるかといった物理的なハードルに関しては十分な配慮が必要です。一方で、練習を100%、120%の熱量でやるといったスタンス面に関しては健常者の選手にも障がいを持つ選手にも同様に求めています。将来的にはうちのクラブ(YFA SRIRACHA FC)が障害を持つ人のシンボルになれば嬉しいです。昔は手がない、耳が聞こえない、目が見えないといった大まかな区別しかありませんでしたが、今は『障がい』と言っても細分化されています。障がいではありませんが、LGBTといった生きにくさを抱えている人達皆に元気を与えられるようなクラブになりたいです。