「ずっと学校にいたい」という思いから大学院を経て教員に私は学生の頃から学校というものが好きで育ちました。グランドもある、体育館もある、図書館もある、工作も絵も音楽もできるという空間が好きだったんです。こういったところでずっと居れるのがいいなという思いは小さい時からありました。その空間にいるとやりたいことがなんでもできるというのが良かったんですね。教師になる時も確固たる意思のもとって感じではなくて。教育実習ももちろん行ってたんですが、大学が経済学部ということもあり、いくつか就職活動もしながら教員の道も選択肢に入れていました。いくつかの企業で面接まで行っていたんですが、ちょっと違うなという思いを根底に持っていました。大学四年生の時に怪我が原因であまりサッカーができなかったので、就職するというよりは体育の先生になりたいなという思いでした。そこから週三日ほどの頻度で別の大学にも通って、科目履修生として勉強することになったんです。そこで出会った先生に、「大学院に行ってみたら?」と薦められて大学院に進学することになりました。なのでキャリアとしては、大学から大学院に行って教員になったという流れですね。教員になったら指導者としてサッカーに携わりたいという思いを持って教員になりました。おかげさまで採用していただいて、幸運にもサッカー部を持たせてもらっています。自分は公立の教員なので、教員になった時は自分の経験以外での参考例はなかったです。教員なりたてはもちろん仕事の仕方もわからなかったですし、公立高校にも工業・商業や進学校やそうでないところもいろいろありますけど校風や生徒たちの質感が違う難しさを感じたことはありました。はじめの学校は進学校だったということもあり、ボールを蹴っている子たちに少しずつサッカーを教えていました。今振り返るともうちょっといろいろな教え方があったなと少し後悔している部分はあります。「生徒たちのわずかな変化に気づいて伝えてあげたい」今三校目で工業高校なんですが、自分は全国大会に行きたかったし子どもたちにうまくなって欲しいという思いは変わらないんですが、変化を見逃さないようにしないとなと思いました。担任もしていましたが、全ての生徒の毎日の変化を見れるわけではなかったです。気づいた時にはフィードバックしてあげたりを心がけていましたが、当時は子どもたちの成長度合いというよりも結果ばかり見ていた自分がいました。努力をし続けるのはもちろん必要だと思いますが、日々の子どもたちの成長に気づけるようになってきましたね。目標に到達できるかはわからないけど、昨日よりは成長しているよということをしっかり伝えれるようになりました。僕自身生徒からはあまり優しい教員として見られていないと思うんですが(笑)、ちょっと演じることも必要かなと思うんですよね。つまり、こうやった方が上手くいくし正しいと思ったことを恥ずかしがるのではなく伝えることで子どもたちも自分自身の変化に気づいてくれます。「今日朝早く来て草抜いてくれてたよな」「今日の練習前いい準備できてたな」というふうに小さなことでも気づいて伝えることを意識しています。環境を変えるたびに新たな学びがありますね。自分自身の新たな知見を、指導現場以外でも。Balcom BMW CUP という大会を運営していて周りから「大変でしょ」と言われることも多いのですが、やらなかったら楽ですし、いろんなチームが選手を派遣するために動いてくれたり、家族との時間も少なくなります。ですが、このような活動をしないと新しいことを知る余地がないんじゃないかなと思って取り組んでいます。その中で、やはり自分が知らないことがまだまだあるなと感じています。Balcom BMWさんがメインスポンサーとして協賛金を出してくださっていて、他にも70社以上の企業さんにご協賛いただいているという大会です。そういった方々とのご相談やマスコミの方々との打ち合わせなどを経験させていただく過程で、本当にさまざまなことを学ばせていただいています。生徒たちに「世の中いろいろあるぞ」と教える私が職場や部活動の指導だけではなくこういった活動を通して勉強させていただくことは、指導現場にも活きてくる部分があると思っています。この大会は今年で17年目になるんですが、技術もですが進め方も時代の転換期に差し掛かっています。毎年洗練されている大会に関わらせていただいて、純粋に面白いですね。今回も海外チームを招致するのに広島県さんと一緒にさせていただいたり、新たな取り組みも増えていっています。指導者をしているという感覚はあまりない指導者やってて良かったなと思う瞬間が、これといってないんですよね。そこが自分でも変わってるところだなと感じているのですが(笑)。先ほど言ったように、もちろん子どもたちの小さな変化に喜びを感じることはあるんですが、自分自身が指導者をしているという感覚があまりないんです。ちょっと歳上の人が子どもたちに知らないことを教えている、くらいの存在だと思っています。生徒たちに先生って呼ばれるのも実は少し恥ずかしかったりします。14年目になりますけど(笑)。指導者、コーチと呼ばれても「自分がコーチできているのかな」と思うこともありますし。教員としても、サッカー指導者としても全てが繋がっているのが自分なのかなと思いますね。