小学校の卒業文集に書いた夢は、”指導者になりたい”プレーは大学の1年生の途中ぐらいまでずっと続けていて、指導者になりたいと思ったのは実は小学生の時なんです。小学校の卒業文集だと、「Jリーガーになりたい」と書くのが普通な気もするのですが、「指導者になりたい」とその時に書いていました。小学4年生の時に地元でも実績のあるクラブチームに移ってからサッカーが楽しくなって、自分もうまくなっている感覚があったり、サッカーをいろんな視点で捉えられるようになりました。その時に出会った指導者の方の影響から、指導者を志すようになりました。そこから他の職業には興味がなく、指導者を目指して東京学芸大学にも進学しています。東京学芸大学はFC東京との繋がりがある関係で、第一志望として進学しました。通っていた高校はサッカーだと無名の高校でしたし、自分でも競技力は高くないと自負していました。そんな中、関東リーグを戦う大学のサッカー部ではJリーグの下部組織出身やレベルの高い選手たちがうじゃうじゃいたので、ここで埋もれて4年間プレーして選手生活を終えるというのが、自分では違うなと感じたんです。指導者になった時に医学的な知識や経験が生きるのかなという思いで、「やってみたいです」と手を挙げて、東京学芸大学の学生トレーナーという形でフィジカルコーチというキャリアを歩み始めました今でこそメディカルやフィジカルが少し細分化されたり、大学生でもそれらに理解がある人が多いと思うんですけど、初めは全くわからない中でのスタートでした。ウォーミングアップ、怪我の予防、選手のケア、怪我の応急処置やリハビリ。メディカル全般を経験していく中で、大学卒業時はトレーナーなのかフィジカルコーチなのかはよくわからないけど、そういった分野に進みたいと思い、大学院に進学しました。大学院で アスレティックトレーナーという資格を取ったのですが、大学院2年の間もまだフィジカルなのかメディカルなのかみたいな感じで結構フワフワしていましたね。ゆくゆくはJリーグのクラブに所属したいという思いがあったのですが、トレーナーとして所属するならアスレティックトレーナーだけでは難しく、例えば理学療法士とか鍼灸師のような国家資格が必要になってくるとわかりました。そうなると大学院を出て、さらに専門学校にも通わないといけないので、自分の中でトレーナーとしてJリーグクラブの所属を目指すのはあまりイメージがわかなかったんです。それよりも運動療法を用いて0を1,2,3に変えていくようなプロセスの方が好きだったので、「フィジカルコーチになりたいな」という夢を抱きました。キャリア初のJリーグクラブで、いきなりトップチーム指導者にフィジカルコーチを志していた大学院2年の時、鹿児島ユナイテッドがフィジカルコーチを探していると聞いて所属することになりました。大学院2年のクリスマスぐらいだったんですけど、12月30日ぐらいに鹿児島で監督さんとお会いしてトップチームフィジカルコーチとしての入団が決まりました。Jリーグのシーズンは1月の2週目とかから始まったりするので、すぐに引っ越しの手続きをして 1月の1週目には鹿児島に引っ越しているというような本当に怒涛の何週間かを過ごしてフィジカルコーチになりました。大学院の時にジョイフル本田つくばFCでフィジカルコーチとしての指導を経験させていただいていたので、そこでの経験があって鹿児島に行けたのは自分にとっても大きかったかなというふうに思います。鹿児島に行ってからは、がむしゃらにいろんなことにチャレンジしてやっていたので特に大きな壁に当たったという感じではなかったですね。今年で指導者としては10年目になりますが、1年目の時から自分の提供するトレーニングを今も変わらずに行っているかというと決してそうではありません。大学院を出たばかりの未熟なところからいろんな刺激を受けたり、いろんな経験をさせてもらう中で、失敗も含めて自分をブラッシュアップしながらやってきました。指導者歴を重ねるごとに考え方は変わっていってるというのが正直なところではありますが、フィジカルコーチとしての経験が蓄積されてきてから、自分の理論を形作ってそこにエビデンスをつけていくみたいなフェーズに今は変わってきているかなと思います。成長期に差し掛かる育成年代こそ、フィジカルが欠かせないトピックに指導の対象はプロから子どもたちに変わりましたけど、フィジカルの捉え方はそんなに大きくは変わっていません。育成年代という言葉は小学生~高校生まで幅広い定義ではありますが、 今中学生をメインで担当させてもらっている中で、一番成長期が来る時期である中学生年代にとってフィジカルは一番外せないトピックなのかなというふうには感じてます。その一方で、中学生年代のチームにフィジカルコーチのような専門職がいるクラブはかなり稀有だとも思います。大人のアプローチの仕方によっては選手の特徴を消してしまいかねないので、フィジカルコーチとして選手の体の成長期に関わってあげることが必要なことかなというふうに思います。トップチームの時は、勝利の雰囲気に中毒性のあるような魅力を感じていました。育成年代を指導するようになってからは勝敗よりも、長い目で見て選手がどういうふうに成長していくかということが一番面白い部分です。日々の成果が現れるまで時間がかかることなので、長い期間地道にコツコツ取り組んでいった選手の変化には、心の中でガッツポーズするほど喜びを感じます。“どの年代、どのチームにもフィジカルコーチがいる” 環境を当たり前にしたい育成年代を担当しているフィジカルコーチの立場から言うと、フィジカルコーチはとても面白く興味深い職業だなと思っています。働き口やフィジカルコーチを教育するシステムがなかったりすると、やりたいと言ってもなかなかなれないのが現状。自分が今の活動やフィジカルコーチの魅力を発信することで、もっと育成年代の中でフィジカルコーチが活躍できる場や需要を作っていきたいと思っています。そうすることで指導者の雇用も増やし、地位も上がると思いますし、フィジカルコーチが年代やチームに関わらず増えていくことで、成長期の選手たちにとっては良い環境になっていくと思います。社会的な問題として、子どもたちの遊ぶ環境の減少や運動能力の低下も存在しています。そういったものも含めて、フィジカルコーチという指導者が少しでも多くなるような影響を与えられるようになりたいと思っています。個人の指導者キャリアとしてもう一度Jリーグのトップチームで指導してみたいですし、日本代表のようなさらに大きな世界を見てみたいですね。