宮城県仙台市で生まれ、福島県の高校を卒業後、ベガルタ仙台へ入団。世代別日本代表にも選出され、ジュビロ磐田・サガン鳥栖などJリーグの8クラブで活躍をし、2021シーズンをもって現役引退された萬代宏樹さん。現在は生まれ故郷の宮城県仙台市でサッカースクールの指導者として活躍されています。他にもメディア出演や普及イベントへの出演など多岐に渡ってサッカーへ関わられている中で萬代さんが感じる少年サッカーへの思い、さまざまなカテゴリの指導者と交流する中で感じる指導者に求められる資質や大切にしてほしいこと、地元東北への想いとは?今回は萬代さんにご出演いただいたトークイベント『元プロサッカー選手萬代宏樹が語る少年サッカー指導に必要な資質』の内容を、一部抜粋してお届けします。指導者として新たに感じた『伝える』大切さ。-現在の取り組みについてお話いただけますでしょうか?現在はリーフラス株式会社というところでスクール事業を主に運営している会社なんですけれども、そちらのサッカースクール部門にあるリベルタサッカースクールというところで、平日夕方の時間、基本的には幼稚園の年少から小学6年生の子どもたちにサッカーを指導しています。こういったサッカーの楽しさを教えるという取り組みのほかにも、サッカー中継の解説のお仕事やセミナーへの登壇といったお仕事もさせていただいてます。個人的にはBANDAI HIROKI CUPというカップ戦を通して、子どもたちがサッカーを楽しめる機会を増やす活動もさせていただいております。-ありがとうございます。指導者として活動される傍ら、先日は古巣である両チーム モンテディオ山形とベガルタ仙台の試合前トークショーにも出られていました。今は選手とは違う立場でJリーグと向き合われていると思いますが、異なる立場から見えてきたことはありますか?選手時代は『いかに自分が良いプレーをして応援してもらうか』ということに常に専念していました。サッカー選手としてプレーにだけ集中しながら、ファンサービスを通してファンの方との交流も大切にしていましたね。現役を退いてからは、試合前のイベントや広報の方々の働きなど「こんなにも裏で尽力してくださる方々がいたんだな」とわかりました。一人一人来てくれたお客さんがまた来てもらえるような仕組み作りだったり、運営の仕方やイベントの出し方など、運営の方はすごく考えておられるんだなと。たくさんの人に支えられていたんだなというのはすごく感じましたね。-指導者として携わるサッカーについても、少しお話を伺えればと思います。今までとは違うサッカーとの向き合い方の中で、新たに気づいたことはございますか?選手時代は、スクール訪問だったり子どもたちとサッカーを一緒に楽しむ機会はありましたが、指導をした経験はなかったです。今指導者として活動していて、「伝える大切さと難しさ」を感じています。年少から6年生までとなると、使う言葉や伝え方を工夫する必要があります。「これをやってください」だけじゃ分からないので、年少の子にも小学6年生の子にも伝わるような伝え方って何だろうと苦労することも多いですが、一番今勉強になってるところだなと思っていますね。一番気をつけていることとしては、年少の子も6年生の子も退屈にならないメニューを組むということ。6年生を対象にする練習は年少の子にとって難しすぎるし、年少の子に合わせた練習は6年生にとって退屈になると思います。年齢の幅が広い子どもたちが同じ時間に参加することもあるので、こういったことはかなり意識しています。お金をいただいてやっている以上、こちらも当然プロとしてやらなきゃいけない。そういった責任は常に持っていますね。練習の中にゲーム性を持たせ、同時『何のためにこの練習を行い、どのような技術が身につくのか』といった意図を明確にした練習を組むというのを大切にしています。-多くの年代が混ざって練習できるというのは、子どもたちにとってもプラスに働くものが多いのかなと思います。実際に現場でそういったポジティブな要素や影響はあるのでしょうか?僕自身も、いろんな年代の子供達が一緒にサッカーを楽しむのはすごく大切なことだと思っています。サッカーの技術的なことというより、世代間の学年交流という意味で。なので自分はあえて幼稚園の年長でも年中でも6年生と一緒にやらせたくて。スポーツ少年団やクラブチームでは、なかなかできないことです。サッカー以外の荷物の整理整頓、練習の準備や片付けなども、リベルタサッカースクールでは全部子どもたちが自分で行います。こういった社会性も、指導者が教えるのではなく年上の子たちが「こうするんだよ」と年下の選手たちに教えてくれて、みんなができるようになっていきます。サッカーの技術だけではなく、こういった取り組む姿勢、人間性の形成にも色々な学年で活動させることはすごく大事だと思います。指導者として必要な資質は、人と人との関係性を構築できること-ご自身が選手時代に関わった指導者の方で特に印象に残っている指導者の方とのエピソードや、指導者になられた今影響を受けていると感じる指導者の方はいらっしゃいますか?僕の中では2名の方がいるんですけど、まず一番最初に「この人についていきたい」と思わせてくれたのが手倉森誠さん。当時は監督ではなくて、ベガルタで4年間選手とコーチという関係で携わっていました。当時コーチの手倉森さんは、若手や出場機会の少ない選手と関わる機会がすごく多かったんです。彼は常にモチベーターで、選手が「この人についていきたい。頑張ろう。」と思える指導者の方でした。2007年 北京オリンピックアジア2次予選で初めて代表に入ったんですよ。国立での開催で、PKを決めた試合になったのですが、あれほどのプレッシャーの中でプレーしたのも初めてで、国を背負うことの責任の大きさも同時に感じました。点を取った喜びよりも決定機を外した悔しさの方が大きく、「代表どうだった?」と仙台に帰ってからかけられた手倉森さんからの言葉にネガティブな言葉で返すほどでした。その時、「俺はリーグ戦のどんなゴールよりも、あの代表で国立で決めたお前のPKの価値が一番大きいと思っているから自信を持って戦え」と言っていただき、さらに上を目指そうと思えました。もう一人は山形時代に監督だった石崎信弘さん。現在はヴァンラーレ八戸の監督をやっているんですけど、その方との出会いはとても大きいものでした。監督と選手というよりも、人と人という関係性を持って指導してくれた方です。僕が引退する時は、お世話になった方々に自分から連絡していたのですが、唯一石崎さんだけ石崎さんの方から連絡をしてきてくれて。「お前何年やったんだ?」と第一声で言われ、「18年やりました」と言ったら「よく頑張ったな。あの時山形でお前は試合に出てなかったかもしれないけど、お前のおかげで山形は強かったよ」と言ってくださり、お世辞でもとても嬉しかったですね。なかなか褒めてくださらない指導者の方でしたが、そこで今までの分全部褒めていただいたような気がして、泣くのを必死に堪えるほど感極まった瞬間でした。-非常に素敵なエピソードですね。そういった指導者の方々との出会いを経て、今は指導者として活動されている萬代さんが思う、『指導者に必要な資質』とは何でしょうか?技術的な指導でいうと、『いかに説明できるか』『いかにその練習に対して説得力を出せるか』は大事だと思っています。そして全てを教えるのではなく、選手たちにヒントを与えてあげることで自分たちで考える部分を養っていく必要もあります。アプローチの部分で言うと、『選手と指導者という明確な線引きはいらない』と思っています。もちろん友達関係みたいな馴れ馴れしさはよくないと思いますが、人と人としての関係性は大切にすべきです。サッカーだけでなく、普段の世間話やコミュニケーションを取ることも子どもたちがサッカーを楽しむには必要なこと。指導者の思い通りに選手をプレーさせようとするのは間違っています。地元東北から世界に羽ばたくストライカーを-地元東北への想いもお聞かせいただきたいなと。通算でもかなり長い期間、東北のクラブに所属されたと思うのですが、どういった想いをもたれていますか?僕は仙台で生まれて福島で育って、福島の地元の高校から仙台でプロキャリアをスタートさせました。震災が起こった翌年に山形からオファーが来て山形に行くことになりますが、最後は東北の青森で引退を決めるという東北との縁はとても大きなものを感じています。お世話になった地域である東北を元気にしたいという想いは今も強く持ち続けています。山形に移籍してからは、小笠原満男さんが立ち上げた『東北人魂を持つ選手の会』の一員として、被災地である大船渡や陸前高田、地元の福島でのサッカー教室などもさせていただきました。当時、福島は特に放射線の影響が強く、外での活動もなかなかできなかったんです。運動することすらもできない子ども達に少しでも笑顔になってほしいと、体育館で当時の選手たちと共に楽しい時間を過ごさせていただきました。その時、やっぱり子ども達の笑顔は一番だなと感じましたね。さらに、当時活動に参加してた子が大学を卒業してからベガルタに入団したそうです。その知らせを聞いた時には、「少しでも夢を与えることができていたのかな」ととても嬉しくなりました。-最後に、萬代さんの指導者としてのこれからの夢やご展望もお伺いできればと思います。『東北から世界に羽ばたくストライカーを』という想いは強いです。サッカーの中でも、GKとストライカーは特殊だと思っていて、自分が経験したことで伝えられることもたくさんあると思っています。そういった特別な指導をゆくゆくはできれば、それも東北でというのは思っていますね。GKのクリニックやスクールなども増えてきているので、ストライカーキャンプやストライカークリニックなども、もっともっと増えていってもいいのではないかと。そこに向けて自分ができることがあるなら、全力で挑戦したいですね。