サッカー中継や、楽天カードマンなど多くのメディアで活躍されている舞台俳優 川平慈英さん。常に情熱を全面に出すお人柄は、メディアを通して私たちに多くの元気を与えてくれます。しかし、そんな川平さんも「パッションがなかった時ももちろんありますよ、音を立てるほどの挫折も味わいました。」と語ります。「こういった着座のトークは、ほとんどしたことないんじゃないかな。(笑)」特別インタビューから見えてきた、いまに活きるサッカーで経験した栄光と挫折、川平さんの情熱の真髄に迫りました。インタビュー動画の全編視聴はこちら%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FupwGuEoRjiE%3Fsi%3DlwJCUEXEx_2TeXyg%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E「I don't need you.」その一言に夢が打ち砕かれた-早速ではありますが、慈英さんのサッカーや舞台などの様々な表現における情熱の大切さを伺えればと思いますがどうでしょうか?僕は、お芝居でもその他のお仕事でももちろん "パッション(情熱)"はすごく大切に持っています。これは、全てにおいて関わってくるエネルギーだと思いますね。人の心、雇ってくれている人、観ている人、関わっている企画、関わっているチーム、監督、スタッフ...パッションが人を動かしますもんね。-今日はパッションを一つテーマにしていきたいなと思います。以前ある記事を拝見したんですが、慈英さんもパッションがなかった時期があったとか。もちろん!去年還暦を迎えましたが、年齢関係なく凹むときは凹みます。でも「どう自分の中で咀嚼して解決していくか」というのは歳を取れば取るほどわかってくるものですよ。高校の頃は読売ユース(元東京ヴェルディユース)に入って、全国優勝も経験しました。サッカー雑誌に自分が載ったりなんかもして、それはもう天狗状態ですよ。(笑)そこからテキサス州立大学に全額奨学金で進むことになりますが、結局戦力外通告という挫折を味わって日本に帰ることになりました。パッションフルな国、アメリカで一気にパッションが無くなった瞬間ですね。「I don't need you.(君はもういらない)」この監督からの一言を受けて、脳内でガラスが割れるような音が鳴るほどでした。まさに、挫折が音を立てた瞬間です。サッカーのプロ選手になりたいという夢が砕け散った瞬間でしたね。-その壮絶な経験の中で、ご自身はどういったアクションを取られたんですか?なんくるないさの沖縄の血なのか三男坊の血なのか、「なんとかなるでしょ」といった感じでしたね。やさぐれてはいても小さい頃から何かを表現することが好きだったので、サッカーを辞めてからはダンスを始めました。大学では、年一回のミュージカル公演のオーディションにもやりたかったダンサーの役で受かって。その公演でのお客様のスタンディングオベーションが、、表現者としてのパッションを生んでくれたんです。十歳の時に決めたサッカーでの初得点への賞賛や歓声で生まれたパッションが、ぶわ〜っとその時に戻った感覚でした。「これだよ、これ!」と。フィールドが変わっても、観てくれる人を熱狂させることが自分のパッションの原点なんですね。「実力だけが人を惹きつけるのではない。パッションあふれる人はいい意味でズルい」-これまで慈英さんのパッションの原点を伺ってきましたが、ご自身の今のお仕事の中で掲げる想いを伺えればなと。舞台俳優として役者の仕事がメインですが、僕らの仕事は "鼓舞" も一つのキーワードになります。座長をさせていただくことも多いのですが、必ず慈英チームは公演前に皆んなで円陣を組んでお互いを高め合うんです。パワーで始まりパッションで終わる。取り組む全てものに対してそのような心意気でやっていきたいですね。かといって、「パワーねーぞ!パッションねーぞ!」ということではないんです。弱っている時の自分、パッションが小さい自分も本来の自分だと素直に許してあげることも必要です。そうしないと、どんどん自分を追い込んでいくだけ。「できないからダメなんだ」と思う必要は全くないと思っています。-そういった想いが芽生えたことで、アクションにも変化が生まれたんですか?若い頃はパッションフルで、守りに入るなんて!という元気いっぱいの時期もありましたが今は丸くなったのかなと思います。(笑)しかし、常にパッション全開のフルスロットルだった時期も素晴らしい時間だと思いますし、今の若い子たちに「そんなに頑張らなくていいよ、落ち着いていこう」とは口が裂けても言えませんね。僕らはオーディションをよく行うのですが、全てにおいて完璧にこなす人よりも何かテーマを与えるとものすごい力を発揮する人には、「お?」と釘付けになることがあるんです。ファンになる心理という点では、人を惹きつける者には必ずしも実力が伴っているとは限らないんです。つまり、人を惹きつけるものはパッションだと僕は思っています。-なるほど!確かに、フラッとみたサッカーの試合でもプロの試合でも、目がつく選手が必ず上手い選手とは限らないですね。上手い下手ではなく、観衆の目を釘付けにするものがパッションじゃないかということですね。そうです。子どもたちが出してくれるパッションをいい感じに結合できれば、こんなに素敵なことはないですよね。ですが、指導者の方もなかなか難しいと思いますよ。もちろん結果が一番わかりやすい指標になると思いますが、結果が全てではない。勝利至上主義をどう料理していくのかがこれから考えていくべき所ですね。強いチームにいるからこそ自分のパッションを出せる人も、もちろんいるわけだし。影響力のある人からの一言で、新たな物事の捉え方に気づく-このインタビューに先立ち、いろいろな記事を読ませていただいた中で特に印象的だったのが、「ニュースステーションからもらったサッカーナビゲーター業のオフォーを、最初断るつもりだった」というお話です。その時のお兄さんからの一言が大きかったようですね。そうですね。気持ちが下がったとき、影響力のある人からの助言やヘルプがきっかけとなって再浮上するというのはありますよね。僕はまさにニュースステーションの話が来た時、やっとミュージカル俳優として軌道に乗ってきた時だったんです。「この仕事を始めたら、なかなか舞台のお稽古ができない...」と思い、兄に相談しました。そしたら開口一番「バカたれお前。久米宏さんの隣でお前の好きなサッカーを伝えられるんだぞ」って言われて。(笑)当時絶大な支持を得ていたニュース番組だったので、「名前を覚えてもらってナンボだぞ。」と。それが結構ガツンときて。サッカーナビゲーターという役で、スタジオがステージだと思って演じればいいんだと思ったんです。背中を押されてやることになって、そこからやっぱり人生が変わりましたね。ターニングポイントです。目から鱗というか、新たな視点からの物事の捉え方ができましたね。「いいんですか?いいんです!」もそこから生まれましたしね。(笑)-かつてはプレーヤーとして情熱を注いだサッカーに、今度はお仕事として携わるようになってんですね。パッションは磁石のようなもので、いろいろなものを僕の元へ引き寄せて繋げてくれた。パッションがあるところに人が集まり、その人たちは同じ熱量を持っているのでつながっていく。そしてまた新たなものが生まれるという作用がどんどん生まれていくんですよね。子どもたちに演技指導をすることも増えてきましたが、僕が大切にしていることは「僕自身が楽しむ姿を表現しなければならない」ということです。本気で取り組む人には、本気でぶつかるんです。楽しんでいる大人って見ていて面白いしね。(笑)子どもたちもよく見ていますよ。「僕たちを子どもとして見ているな〜」ってすぐ見抜かれるから。なので、僕の指導では最初に「悪いけど子どもとしてではなくて、ひとりの人として接するから。」と伝えます。「途中で諦めたらダメ。できる!絶対できる!」と最後まで付き合ってあげると、子どもたちはとてつもないパワーを発揮しますよ。そして成功した時には、心の底からみんなで喜びを分かち合います。-慈英さん自身も表現者としてはもちろん、指導者としても素敵な愛情のある、パッションのある接し方をされているんですね。今日は本当に貴重なお話をお伺いでき、とても学びのある時間でした。ありがとうございました。いえいえ、こちらこそ学びのある時間でした。こんなに話すこと、滅多にないからね。(笑)これで地方巡業でもいきますか?(笑)今日は素敵な時間をありがとうございました!