立教大学から水戸ホーリーホックへ。2025シーズンから特別指定選手として登録され、2026年からの入団が内定している嵯峨康太が、ジュニアユース・ユース時代の恩師、三菱養和 生方修司と再会。少年団からのステップアップ、技術と人間性を磨いてきた日々、プロを目指す中で見えてきた本質とは。「できないことにアレルギーがない」「矢印は常に自分」というキーワードを軸に、嵯峨康太の原点と未来へのビジョンを語り尽くす。プロ選手としてだけでなく、一人の人間としての成長も描き出される珠玉の対談。"マリノスから三菱養和へ"──左足に託した可能性%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FMsRZrp6IR8I%3Fsi%3DLOKXXcIN71lwuB5k%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E生方:久しぶり。調子はどう?嵯峨:怪我してるので何とも言えないですが、新しい環境で心身ともに充実してます。プレーできないもどかしさはありますが、今はできることに集中しています。生方:Jリーガーになるっていう夢が叶って嬉しいよ。小さい頃から努力してる姿を見てたから、本当におめでとう。嵯峨:ありがとうございます。自分の力だけでなく、支えてくれた先生やコーチたちのおかげです。プロ入りを報告した時、皆さんが喜んでくれたのが本当に嬉しかったです。生方:横浜F・マリノス プライマリーから養和に来た時の話、覚えてる?あの時、マリノスの担当者から「すごい選手がいる」って連絡が来たんだよ。嵯峨:ジュニアユース昇格が保留になったのがきっかけで、色んなチームを見てた中、三菱養和の練習に参加しました。最初はどんなチームかも知らなかったけど、当時、横のグラウンドで練習していた中村俊輔さんが「養和は良いチームだよ」と言っているのを覚えていたんです。練習もすごく楽しくて「ここだ」と思いました。生方:左足のキック、今でも覚えてるよ。センセーショナルだった。技術はもちろん、ゲームを楽しむ姿勢はあの頃から印象的だったね。嵯峨:ありがとうございます。あの日から「サッカーって楽しい」って再確認できました。知らない環境でも、受け入れてくれる空気があったのが大きかったですね。"ウィークを受け入れ、成長の糧にする"%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2F6WSN08cwObo%3Fsi%3Dwc8NMyVwJhv60KOa%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E生方:養和で変わったと感じた?嵯峨:大きく変わりました。マリノスでは自信を失っていたけど、養和では自分の強みと弱みをはっきり理解できた。左足のパスやキックがストロングで、守備や運動量がウィークだと向き合えたのが大きいです。生方:できないことにアレルギーがなかったよね。朝練の話、覚えてる?等々力グラウンドを自分で取って、自主練やってた。嵯峨:はい。あの積み重ねが自分を作ってくれたと思います。養和の練習でも守備の距離感とか、失敗しても「惜しかった」と言ってもらえる環境があったからチャレンジできたんです。生方:そうそう。ウィークを克服するだけじゃなく、見せない工夫もしてた。守備は賢くて要所を抑えてたしね。嵯峨:それは養和で教わった"考える力"ですね。できないことを恥じず、改善しようという姿勢を持ち続けることが大切だと学びました。生方:その姿勢はこれからも絶対に活きてくるよ。"環境と出会いが、進路を決める"%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FpRXbMbCJ3Zg%3Fsi%3DIWyJhxNxzYYjCnYj%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E生方:立教大学を選んだ理由は?嵯峨:プリンスリーグに出てないメンバーの練習試合を見てくれていた、立教の倉又寿雄総監督の熱意に惹かれました。練習参加の時、先輩の選手たちもオープンマインドで接してくれて、「ここなら成長できる」と思ったんです。生方:自分次第で道を切り開くタイプだよね。競合校じゃなくても選んだ道を正解にする、かっこいいよ。嵯峨:ありがとうございます。仲間にも恵まれたし、自分で成長を実感できたのが立教でした。競争が激しい環境も刺激になりましたし、学業との両立も良い経験になりました。生方:水戸ホーリーホックに決めた理由も、やっぱり成長が軸?嵯峨:はい。水戸の西村卓朗GMから直々に、クラブのビジョンや自分の選手としての成長曲線を語っていただいて。「ここで人としてもサッカー選手としても成長できる」と思いました。練習参加時に、環境やスタッフの『1分1秒も無駄しない』姿勢にも感銘を受けたんです。ピッチ内外でのサポート体制が整っていて、自分にとって最も大切な"成長の実感"が得られると思えました。"プロの舞台へ──変わらない矢印の先に"生方:水戸での目標は?嵯峨:一発で状況を変えるようなパスを見てほしいです。サポーターにも「楽しい」と思ってもらえるプレイを見せたいです。生方:遊び心があるプレイスタイルは健在だね。俺も楽しみにしてるよ。嵯峨:ありがとうございます。どんな時も成長を放棄せず、矢印は常に自分へ向けながら、これからも頑張ります。今は怪我でプレーできない分、戦術理解や身体のケアに集中して、復帰に備えています。生方:素晴らしい。これからも応援してるし、またグラウンドにも顔を出しに来て欲しいな。夢の舞台での活躍を楽しみにしてるよ。▼あわせて読みたい!将来を嘱望されるフットボーラーたち「蹴れ」と託されプロ初アシスト。田中順也が探る橋本悠の覚悟と挑戦の現在地ゴールで勝たせる "エゴイスト"――内野航太郎の現在地と見据える未来早稲田から広島へ、期待の大器 ヒル袈依廉の素顔と鹿児島の夢を背負う使命愛媛FCで得た自己成長と新たな視点――尾崎優成が語る挑戦と覚悟「常にもがいているからこそ成長できる」鹿島アントラーズ 溝口修平が振り返る、人生のターニングポイント