ヨーロッパでの挑戦、セルビアでの孤独、日本代表での歓喜──。RCDマジョルカ所属・浅野拓磨選手が、現役生活の中で直面した試練や覚悟を恩師・樋口士郎さん(四日市中央工業高校 サッカー部在籍時代の監督)とともに振り返る。勝負の世界で磨かれたメンタリティと、いま見据える未来が、ここにある。日本代表選出──香川真司の一言が背中を押した%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FipiaPKECWkk%3Fsi%3DA9tLhv2RwSCebDp1%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E浅野:日本代表に初めて呼ばれたときは、正直「自分が?」って気持ちもありました。でも、サンフレッチェ広島で少しずつ自信もついていたし、「やるしかないな」って気持ちでした。どんな相手がいても臆せず、自分のプレーを貫こうと思いました。樋口:日本代表に入ったと聞いた時、めちゃくちゃ嬉しかった。浅野:ある代表の遠征で香川真司さんとランニングしてた時に「お前、海外興味あんの?」と聞かれたことがあったんです。「興味あります!」と返事したら、手を差し伸べられて「Welcome to Germany」って言われたんですよ(笑)。その一言が僕の海外移籍への決断のきっかけでもあります。樋口:やっぱり、代表で一緒にやってた選手たちの存在の大きさってあるよな。何気ない一言が、若い選手には一生残ることもある。浅野:そこから、自分でもびっくりしましたがアーセナルからオファーをいただいて海外でのキャリアがスタートしました。樋口:アーセナルって言ったら、僕らからしてもとんでもないビッククラブ。「えらいとこ行ったな」って思ったで(笑)セルビアでの孤独「どれだけ試合に出られなくても」樋口:海外に出てからの生活は、やっぱり大変やった?特にヨーロッパは、文化も言語も違うし、すごく苦労したと思うわ。浅野:セルビアのパルチザンに行った時は、本当に孤独でした。言葉も文化も違って、最初は試合にも出られなくて、何やってんだろうって毎日思ってました。家族も遠くて、支えがない中で自分を保つのは本当に大変でした。樋口:そういう時、どうやって気持ちを保ってたんや?浅野:セルビアに行く決断をしたとき、「ここで逃げたら終わるな」っていう感覚がありました。パルチザンへの移籍は、ワールドカップに行けるかどうかを左右する選択だったと思います。そもそもセルビアがどこにあるかも分からなかったくらいです。でも、他に選択肢がなかったのも自分が招いた事実ですし、だったらやるしかないと。樋口:大きな目標に向かって、目の前のことに精一杯。まさにタクの強さやね。原口元気を見て、「性格を変えた」%3Ciframe%20width%3D%221920%22%20height%3D%221080%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2Fd9c7gODWp7Y%3Fsi%3DkNIeLyvGtT6sAfjk%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E浅野:海外に行ってからは「性格も変えないと、上には行けない」って思いました。自分の意見を主張できなかった。でもそれじゃダメだと思って、意識的に変わる努力を始めました。樋口:タクは優しすぎる性格やからなあ(笑)浅野:そうなんです。チームメイトへの強い要求や怒ることが無意味だと思ってた。でもヨーロッパでは、言い返さないと舐められるし、信頼されない。ハノーファーで共に戦った原口元気選手がプレー中に感情を出して、日本語でブチギレてたんです。(笑)でもそれが逆にチームに信頼されているのを見て「これだ」と思いました。浅野:最初は恥ずかしかったですけど、オーバーに悔しがったり、自分に怒ったりするようにしました。すると1年経つ頃には、それが自然と出るようになって、自分が変わったと実感できました。“30歳のいま、分岐点に立つ──終わりか、さらなる進化か樋口:今30歳やけど、これからどうしていきたいと思っとるんや?浅野:正直、今が分岐点だと思ってます。体のコンディションやメンタルの変化も感じますし、ここから終わっていく可能性もあれば、もっと成長する可能性もある。浅野:でも、どっちに進むかは自分次第です。負担もあるけど、その分「今やれることをやるしかない」と思えるようになった。変えるべきこと、続けるべきことを考えながら、自分に問い続けています。樋口:そういうのが、プロやな。覚悟がある。浅野:一番近い目標は、次のワールドカップ。必ず出るんだという思いです。まだまだ成長できると信じてるし、これまで経験してこなかったことにも、どんどんチャレンジしていきたいです。▼あわせて読みたい!日本を代表するフットボーラーたちのストーリー浅野拓磨が語る「人生を変えた高校進学」──恩師・樋口士郎との対話で見えた原点と覚悟(前編)鹿島アントラーズから世界へ。町田浩樹が語る、挑戦と進化の軌跡「高校サッカー決勝を見て感じたのは...」酒井高徳が語る、『育成年代の現在と未来』「より効率的にゴールを奪う守備は...」酒井高徳の守備概念を変えた『BoS理論』