四中工3年時に主将として第56回高校サッカー選手権準優勝に貢献。卒業後は本田技研やPJMフーチャーズ(現サガン鳥栖)で活躍し、PJM時代にはコーチ兼任選手として天皇杯に出場する傍ら、通信教育で教員免許を取得。91年から母校の四中工へ赴任し、4年間のコーチを経て監督に就任。以降19年の退任まで、選手権準優勝・4強などの成績を残し、これまで数多くのJリーガ-や指導者を輩出。坪井慶介や浅野拓磨らなど、W杯日本代表選手たちの育成にも携わった。。